1 帝国はいかにして帝国であるのか

 

本の感想を中心にブログを始めます。初回は、

「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」(早川書房)。

 

このところ(2016)のアメリカ大統領予備選で、その過激な発言が話題になっているのがトランプ氏ですね。すごいこと言ってます。いわく「原爆を使用するぞ」「移民は排除するぞ」「メキシコとの国境に壁をつくるぞ」などなど、びっくりすることばかりです。ローマ法王が注意しても全然気にしない。こんな人が大統領になるのだろうか?

ところがこの本を読むと、第二次大戦後のほとんどの大統領が、これと似たような考え方をしていたことになっています。トルーマン、ジョンソン、ニクソン、フォード、レーガン、そしてその側近の補佐官や軍部のひとたち。似たような考えどころか実際に他国を脅したり、陰謀によって外国の政権を倒したり、軍事介入を繰り返してきたといいます。

 

なるほど、このへんが、帝国が帝国であり続けた理由なのでしょう。

つまり、これまでのアメリカのトップが行なってきたことと比べて、トランプ氏の発言は決して意外な、並外れたものではないようなのです。そしてアメリカが世界にひとつの帝国としての威信と力をいかに維持するか、それが彼らアメリカのリーダーたちのもっとも重要な課題になってきたわけですね。

その背景として大きいのが、軍需産業や金融業、そして石油・食品業などと政界との密接な結びつきです。産軍複合体と呼ばれる利権集団の圧力で、世界各地で戦争の火種が作られ、戦争が起こり、それによって新しい標的と目標とメシのタネができ、そして新たな利権と市場が形成されていく。アメリカの政策形成過程には、帝国を維持するためのそんな構造があるということが見えてきます。

 

そうか。帝国の国益というのは、結局マッチポンプのように「儲かる機会」を作っていくことなんですね。これでは「いままでと同じこと」がいつまでも続くわけだ。映画監督で著者のオリバー・ストーンは、これを糾弾するのです。

でもこれは、私たちにとっても他人事ではありません。たとえトランプ氏が大統領にならなくてもこの構造が変わらなければ、アメリカという国が行なうことはこれからも同じかもしれないからです。すると日本も考えなければなりません。

「安保条約があるから日本もアメリカを守る戦争に加われ」「はいっ、分かりました」、「北朝鮮に圧力をかけろ」「はいっ、わかりました」、と言って戦争に巻き込まれ、その挙句にアメリカの軍需産業やウォール街が儲かるとしたら、そこに日本の国益はあるのでしょうか?「帝国」への加担はどんな結果を招くのでしょうか。その想像力を養わなければ!

 

 

2 仕事のプロが自分を変えようとする時

 

カフェをやっていると、いつもグラスやコップをピッカピカにしておかなければなりません。テレビドラマでもよく、マスターがカウンターの中でグラスをキュッキュッと磨いているシーンがありますけど、あれです。

で思い出したのが、

カズオ・イシグロの「日の名残り」(新潮社)。

 

これは戦前のイギリスの古き良き時代から第二次大戦後にかけての、貴族のお屋敷の執事の物語。本当の、プロの、素晴らしい羊、もとい、執事とはどういうものか。これが一つのテーマになっています。

そのころの執事の大切な仕事の中に「お屋敷の備品の管理」があって、なかでも、権威と財産の象徴である銀食器を、いつでもピカピカにしておくというお役目があった。招待客はそれを見て執事の仕事ぶりを評価し、自分の執事の仕事ぶりと較べた。すばらしい管理をする執事はすばらしい執事とされる。なるほど。

私どものカフェでは銀食器はわずかしかありませんが、たとえステンレスであっても、日々使う道具をきちんと磨いてお客さまにお出しできるようにしたいものです。なぜならそれはプロとしてもっとも大切な基本だから。

それはともかく、小説の後半、主人公も歳を重ね、そのご主人がイギリス貴族からアメリカ人に変わります(たぶん成り上がりの実業家ですね)。時代がどんどん変わっていき、執事に求められるものも変わっていく。彼も、かたくなに「理想的な、すばらしい執事像」を守るだけでなく、「プロとして」新しい主人が求めることや、いままで経験のなかった新しい技の習得にもチャレンジしよう決意する。

 

なんと立派ではありませんか!

というのも、銀食器を磨き上げることはいつでも大切な基本ですけど、それは一方で「何が起きてもこの一線を越えさせまい」「これは自分の仕事だから、ここには誰も入らせない」といった、かたくなな決意の表れともいえます。それは外からは、もしかしたらたんなる「頑固な執事の守りの姿勢」と見えるかもしれないし、「執事という仕事の古さの象徴」ともなってしまいかねない。主人公はそれに気づいて、残された人生を考え直そうとするのです。

ここにきて、ひとつの仕事に徹したプロだからこそこの決断は重いものだ、ということが読者にも分かり、そらに、老齢にさしかかってから自分を変えようとすることがどんなに大変かということも理解でき、それが静かな感動を引き起こすことになります。

若くしてこんな小説を書いたカズオ・イシグロ。恐るべし。

 

 

3 「大変なこと」に「普通のこと」をつなげる

 

このたび(2016年)の熊本を中心にした地震の被害者には、心からお見舞いを申し上げなければなりません。ところで天災については、たとえば、

「日本人は、自然災害からの復興を『生きがい』にしてきた(歴史学者林屋辰三郎)」

という、やや皮肉な見方もあるし、

「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する(物理学者寺田寅彦)」

というごもっともな意見もあるけれど、そりぁ、冷静かつ客観的な学者の、あとからの物言いというもので・・・。

むしろ、市井の生活者であり、個人としては災害や復興に特別な力を発揮できなかった文学者たちが、天災やその時の状況にどのように対処し、感じ、書き留めていったのか、知りたいところです。

 

「大変を生きる−日本の災害と文学」(小山鉄郎/作品社)

には、災害を受けとめる文学者の、いや人間の、とても冷静とは言えない本音がまとめられていて興味が尽きません。怖かったとか死ぬかと思ったといった感想や体験談だけでなく、彼らが災害を含めた状況をどう乗り切って何を残そうとしたのかが分かります。

たとえば関東大震災を経験した芥川龍之介は、

「もっとも善良なる市民であるとは(中略)、とにかく苦心を要するものである」と書きます。これはどういうことか。

ご存じのように震災後の混乱の中では流言飛語が飛び交い、暴動や革命の存在が声高に言われて、実際に外国人や革命家、アナキストたちが殺されていた。そのとき、ことさら「善良な市民」を演じて身の安全を確保し、さらに普通の生活感情を持ち続けようとした、みようによっては小心な姿を、私たちはそこに見てもいいわけですね。

日本人には、大きな災害にあっても、それはそれで致し方ないこととしてあきらめ、しかし流言飛語などの「二次災害」には巻き込まれたくないので、善良で害をなさない一般市民ですとアピールしようとする習性があった、いや、今でもあるのかもしれません。そんなの心の底を、その時代の生活者の中でもとりわけ繊細で小心な文学者が書き残すことになった。

 

ところで芥川は、鳥かごにオウムを連れて避難している人の話を書きとめてもいます。

そのオウムの口真似は「ナアル(なるほど)」らしいのだが、夜空が火事の炎で真っ赤になっているとき、突然そいつが「ナアル」と言った。こんな時に、なにが「ナアル」なものか。それは異常のなかの普通、大変のなかの日常。「ナアル」を聞いて、笑っていいのか泣いていいのかわからない、、、。こんな光景を描写しておくところに、「大変」と「普通」をつなげようとする芥川のもうひとつの努力が見られる気がします。そしてこれは、「人間を人間たらしめるものは、常に生活の過剰である。僕らは人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らねばならぬ」、という彼のことばに共通する態度だとも思います。

大変の中にも「普通の生活の過剰」を求める。こうした文学者らしい感性は、池波正太郎の「科学と機械の文明の中で、せまくて小さな日本の国にふさわしいものだけを採り入れることができぬかぎり、日本人の家は、すべて、ほろび消えるであろう」ということばにも通じるものでしょう。その、私たちにふさわしいものとはきっと、天災による損害の程度を和らげて、人間の尊厳を守るものであるに違いありません。

私たちは、このような「『大変』を書き留めた言葉」に触れて、あらためて「普通」を考え直す機会を持つのでしょうね。

 

 

4 変化するものとしないもの

 

自分の身の回りで起こることやニュースの内容が、このところあまり変わらないような気がしてなりません。気のせいかな? それとも歳のせいかな?

とりわけ政治について。

ああこれは○年前のあの時の状況と同じだ、このニュースは何回も見たような気がする、政治家の発言はいままでとまったく同じ言葉が繰り返されている、ニュースキャスターのコメントもその時のまんま。この意見や紹介される「世論」、あるいは街角インタビューのようなものは、こういう経過をたどってもうすぐ消えるだろうと思って見ていると案の定そうなる。どうでしょう、歳のせいかシニカルになってますでしょうかね。

 

日本の起源」(東島誠・與那覇潤/太田出版)

には、「日本の歴史において変化しない統治機能」についての考察がされていて、統治とか政治におけるそんな「デジャヴ感」の理由のひとつを見るような気がします。

たとえば、

○日本の統治は、だいたいにおいて「主従制的支配(親分子分関係)」と「統治権的支配(官僚制)」の両輪で動かされ、それがうまく回っているときは政権が長続きする。

○日本には、西欧型の民主社会や「市民民主主義」は根づかない。それは一般民衆に「客分意識(だれかにお任せしてしまう)」が強いから。

○日本人は、責任を取らなくてもよいシステム(全会一致とか傘連判状のような)を育ててきた。

○法律や能力による官僚機構のような、だれがユーザーになってもうまく動くシステムを作ろうという発想がなかった。などなど。

 

そうです。日本では、幕府(政府)と天皇(象徴)は「主従」と「統治」の両輪だし、どの領域でも親分を頼って「個人」を薄くするし、村の運営から会社や党の運営まで全会一致を重んじるし、法の支配といったヨーロッパ流のシステムより「賢いお上の徳性」に頼りがちだし、だから逆に統治者を縛るための「憲法」という意識は薄い。これらは、日本の歴史上、ほとんど変化せずにいつでも根本にあった。こうした「変化しないこと」の繰り返しを日本の歴史に見る、と著者はいうのです。

するともしかすると、日本の政治や統治のしかたについてのニュースに私がデジャヴ感をおぼえるのは、故なきことではないのかもしれません、そうすると、これらの「変わらないこと」は、日本人のいわば体質や遺伝なのか? それらは「歴史学的に」変えられない宿命みたいなものなのか? どうなんでしょう。

仮に私たちのなかに、変えられない、あるいは変えにくいものとしての国民意識とそれに伴う法則があったとしても、それを少しでも変えるための方策を考えてもいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

たとえば、統治者の「日本はこういう国だ」みたいな断定を安易に受け入れないようにするとか、政治家や官僚の「言い訳の言葉」を見逃さないとか、「こういう決まりになってます」的な言い方に疑義を抱くとかする。

それが市民発の民主主義のとっかかりだとしたら、私はこれからも、市民とかシステムといったキーワードを手がかりにしていきたいと思います。そして願わくば、ニュースに対する受け身の反応として方策を立てるだけでなく、自分から状況を変えることができて、それによって政治のニュースもその報道のされ方も変わるかもしれない、というところから始めたいものです。少なくともそんな想像力だけは失くさないようにしたいぞ、と。

 

 

5 触感は感覚の交差点

 

先だってカフェの小さな庭の片隅で、小鳥の死がいを発見しました。

新聞紙でくるんで埋葬したのですが、なんだか久しぶりに小さく、軽く、硬いものを手に取った感触が残りました。

感触とは面白いもので、もっと大きく、重く、柔らかなものを手にするつもりだったのがそうではなかったという、まるで「から足」を踏んだような気になったのは予想外でした。

こんな感じで、人は「から足」を踏んだ驚きから考え出す・・・。

 

「触楽入門」(テクタイル(仲谷ほか)/朝日出版社)

には、触覚にかかわる様々な不思議とその効用が書かれています。

その中心にあるのは、五感をまとめ上げているのがじつは触感であって、「触覚があるからこそ感情体験に意味が生まれる。触感は五感を複合する体験である」という認識のようです。そのうえで著者は、高村光太郎の「触覚の世界」というエッセイに触れて、高村にとっては世界を感覚する行為というのは、すべてが触覚と感じられていたのではないかと言います。それは彫刻家というのが特殊な能力をもつひとだから、という理由ではなく、誰にとっても、味覚、聴覚、視覚など他の感覚をまとめ上げてひとつの体験にする重要な役割を、触感が担っているはずだということなのです。

考えてみれば、私たちは自分みずからの力で、ゼロから考え始めるということができません。

 

どうでしょう? 自分の頭の中で、まったくの白紙の状態(というのが仮にあったとして)から、なにか意味のある思考が始まったという経験のある方はどうか教えてください。そうではなく、私たちはなにか外界からの刺激を受けて、そこから何かを考え始めるのではないかと私は感じます。つまり、びっくりしたり、心地よかったり、おいしかったり、不快だったり、痛かったり、そんな感覚が「自分の考え」のスタートを切らせる。つまり感覚の交差点で私たちは何かを考え始める、のではないでしょうか。

それをこの本の中の言葉では、「さわり心地が思考をつくる」というのです。

とすると、他の感覚を「閉ざされて」しまったヘレン・ケラーが、触覚を頼りに人間的な思考を開始したというのもわかるような気がしてきませんか(これ、私にとって長い間の疑問でした)。そしてたとえば、目の見えない人にリードされてワークを行う「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」での、おのずと新しい考えが浮かぶように思われる経験なども、なるほどこういうことか、と腹に落ちる気がしてきます。

 

ところでカフェでは、お客さんが何を考えているのかまでは分からないけれど、音、匂い、味、景色などのほかに、いま読んでいる本の手触りやカップの口あたり、椅子の座り心地によってもお客さんの感情と思考が始められていて、それがひるがえってカフェの評価になっていると思ってよいのでしょう。

ただ、もしそうした、とりわけ触感への刺激が、その方にとって喜ばしい「考えの出発点」になって、それが今の環境に「ふさわしい」感覚や「新しい」思考を生んでくれて、その結果、その方の周りの世界が「好ましい」状態になれば、オーナーとしては嬉しい限りなわけです。

 

 

6 魔法にはなかなか手が届かない

 

私のようなIT弱者にとっては困った時代であります。

というか、ITが生活すべてのインフラとなってしまった以上、それについていけない弱者を生み出すのはしょうがないこと、と自分をあきらめているのが実情ですが。

つい先日も、パソコンがかってにウィンドウズ10にアップグレードされ、やめてくれえ、という間もなくどんどん物事は進み、結果、いくつかのアプリの設定をやり直さなくてはならなくなってしまったことでした。新たにし直したプリンタのインストールも不安定で、トホホの思いでベテランの方に手助けをお願いしたしだい。

どんな道具でも自分で直せた時代は良かったなあ、と、しみじみ想っていてもしょうがないようです。というのも世の中はすでに「魔法の世紀」に入ってしまっているからです。

 

「魔法の世紀」(落合陽一/PLANETS)

によると、よのなか的には、仮想のメディアアートが現実のリアル世界をつくるという「魔法」がすでに行われていて、それはなにも恐ろしい話ではなくて、人間の感覚を開放したり五感の新しい使い方を示しりたりすることらしいのです。

本の帯に「映像の世紀から魔法の世紀へ」とあるように、今までは「映像」というメディアに載って広められていた「現実」が、新しいコンピュータメディアという「魔法」の出現で180度変わってしまったと。すごいなあこの表現、「現実が変わる」!

さて、ここでいう「メディアアート」というのは、文字とか映像とかの媒体をあたりまえに使うのではなく、コンピュータ技術やレーザー技術やもろもろの技術で意識的に新しいメディア(伝え方の方法)を作りながら、なおかつそれにふさわしい内容を創作していくこと、つまりメディアとコンテンツをあわせて発信することのようです。

つまり「アート」の側の概念も広がっている。

メディアアート自体は、IT技術という「科学」と、人間の感性という「芸術」の融合のことらしいのですが、そこでまるでファンタジーのような世界が生成されている。なおかつ、いままでだれも想像していなかった世界が、スクリーンやディスプレイの中だけでなく、著者の言葉によると「その外側に染み出し」つつあるそうです。

この表現もすごいなあ。仮想が現実に「染み出す」!

そんなメディアアートの特徴は、作り手と受け取り手の間に共通のプラットフォームはなく、意味の前提となる共通の文脈もなく、それじたいマスメディアとしては機能せず、そのまわりに権威者も偉い批評家もいない、というところにありそうです。

つまり一対一の関係性や一回性、現場感覚やその場感覚が重要視される。

これはもしかすると、受け取り手は頭で理解しようとしてはいけないものなのかもしれません。というのも、新しいコンピュータ技術によってメディアとアート(コンテンツ)が一体化しているわけだから、それに対してこれまでの価値観で批評的に見たり、普遍的な美的感覚(というものがあったとして)に照らして見てはいけないのでしょう。

 

ここで私の疑問は、メディアアートという「魔法」にはどんなメッセージが込められていくのだろうか? そもそもメッセージが込められていると考えた方がいいのだろうか? アートに込められている(はずの)社会性とか公共性、あるいは他者との関係構築などはどう考えられているのだろう? というあたりになります。

これはいわゆる「現代美術」全般にもいえることなのだけど、あまり難しいことを考えずに、受け取り手の「この私」の、この古い感覚や硬い頭をガサガサと揺さぶって、すでに「染み出しているもの」に身をゆだねればいいのかもしれません。一個人として楽しみ、驚き、「から足」を踏み、そんな経験を「発信者が提示した仮想」からありがたくさせていただけばいい。それを現実として受けとめればいい。そこから何をするか、どんな考えがはじまるかは自分次第だ。そういうことかもしれませんね。

・・・それにしてもNHKのドキュメンタリー「映像の世紀」は良かったなあ。リアルな映像と言葉と音楽による説得力。

こんなことを言っている私はまだ、VRや魔法には素直にぶち当たりそうにありません。

 

 

 

7 ブックコンシェルジュはたいへん

 

ときどき若いお客さんから「いまこういう本を読んでいるんですが、次は何がお薦めですか?」という質問を受けることがあります。

ウーム、ブックカフェのオーナーとしてはなんとか答えたい質問ではあるが、それはまことに難しい話といわざるをえません。だいたい、この人はその本をなぜ読んだのかから始まって、何に興味があるのか、どんな悩みがあるのか、どんな生活をおくっているのか、などなど、こちらが質問したいことだらけになってしまう。

こんなときはどうしたら良いのでしょう?

いわゆる知の巨人たちだったら、どんなアドバイスを贈るのでしょう? 一度立花隆さんや松岡正剛さんに聞いてみたいものですが、本人に直接聞けないので、本から聞いてみましょうか。

 

たとえば立花さんだったら、

「立花隆の本棚」(中央公論新社)。

600ページの分厚さ、ご本人のすべての本棚の写真入り。膨大な本の数。これをつぶさに見るならば、この知の巨人がどの系統の本を何のためにどのように読んでいったのかが分かります。いや「分かる」というのは言い過ぎで、「眺められる」と言った方がいいかもしれません。つまりこの本の難点は、紹介されている本の質と量に圧倒されて、自分の読むべき本が見当つかなくなってしまうかもしれないことです。おやおや、それじゃあ、元の木阿弥じゃないか。当然のことながら、ブックコンシェルジュは、相手に「なるほど、それは読んでみたい」と思わせなければいけない。相談されても圧倒してどうする。

だからたぶん、研究者や大学の先生、はたまた図書館司書と違って、ブックコンシェルジェには以下のような特別な能力が要求されることになります。

一、あらゆるジャンルの本を読んでいる(これは大変。でも可能性はある)

一、読んだ本の内容を覚えている(これは難しいこと、でも可能性はある)

一、相談者の悩みや興味をよく聴きだすことができる(大変、でもやりがいはある)

一、相手の状態への想像力が豊かで(とても困難、知識も経験も必要)

一、複数の可能性からベストマッチを選択できる(限りなく困難)

 

やっぱりキツイなあ。難しいなあ。

では視点を換えることにして、「質問する側」、たとえば自分たちの若いころを振り返ってみましょうか。

そういえば若いころは、「読みたい本」がたくさんありすぎて困っていたなあ、そんな方も多いでしょう。図書館にも書店にも、おもしろそうで、しかも今の自分の悩みを解消してくれそうなものばかりある。ところがいざとなると目移りがして、あるいは腰が引けて、なんとなく近くにあって手が届いた本を読んでいたりする。で、それをどんなに面白く読んだとしても、読んだ後でちょっと後悔などしている。「自分は何故この本を読んだのだろう」「別の本を読むべきだったか」「もっといい時間の使い方があったのではないか」って。そして結局「読みたい本がたくさんありすぎる状態」から抜け出すことができない。さらに、自分の問題の解決策はつねに「まだ読んでいない本」の中にあるのではないかという疑念と不安に、もがき続ける。

じつは、私はそんな人間でした。お若い方の中にも同じような方、いるのではないでしょうか?(ところでこの状態は、「愛する人は、まだ会っていない人」とか「まだ自分が知らない職業の中に、自分を生かす仕事がある」などと同じ心理構造で、ややナイーブな状態と言わざるをえません)

では、もしもそんな「若いころの自分」に「次は何がお薦めですか?」と聞かれたらどう答えればいいのでしょう。

 

私ことブックカフェオーナー兼ブックコンシェルジュ(見習い)としては、やはり、こう言うしかないかもしれない。

「手近にあって、目についた本を読みなさい。結局あなたには、効率的で合理的に悩みを解消したり、コスパ良く進むべき道を示してくれる本を的確に選べるわけなどないのじゃから。そしてすべての本は『どこか』に通じるのじゃし。その『どこか』には、時間差があったとしても、いずれはたどり着くことになっているのじゃ。」と。

そして、はっきりきっぱり、「これは未来の自分が言うのだから間違いないっ!」って。

 

 

8 ヤンキーとパリピが日本を支えている説

 

世の中の動きに追いついていないなあ、と思うことが多くなりました。やはりカフェのカウンターの中に閉じこもってばかりいてはいけません。

マイルドヤンキーとかパリピという言葉を知ったのも最近のことです。

ご存じの方が多いと思いますけど念のためにいうと、これは博報堂の原田曜平さんという方が、マーケティング的に定義した「ある傾向を持った人の集団」のことでした。

「パリピ」は、週末にパーティーをして盛り上がったり、仲間と食べ歩きすることを楽しみに、仕事以外の「関係性」を大事に生活する「パーティーピープル」な都会人のこと。

「マイルドヤンキー」は、そのまま「それほどとんがっていないヤンキー」のこと。じゃ「ヤンキー」は何かというと、私のイメージとしては、若い頃は「やんちゃ」をしてきたけど早めに結婚して家族を養っている人、あるいは、ジャージと金のネックレスとサンダル履きで、ぬいぐるみを乗せた改造車でコンビニに買い物に行く人、あるいは矢沢永吉や長淵剛が好きでカラオケで「ロックンロール」を歌う人、のことと思っていました。

ところがどうやら、それはあまりに表面的なとらえ方らしいのです。(ちなみにウィキペディアでは、「周囲を威嚇するような強い恰好をして、仲間からも一目おかれたいという志向をもつ少年少女。また彼らに特有のファッション傾向や消費傾向などのライフスタイル」と書かれています。)

さらに新たに知ったこと。まずカルチャー的には、ひと昔前の「クラシックヤンキー」から「ヒップホップヤンキー」、そして「マイルド(ソフト)ヤンキー」へと変化しているのだそうです。へえー知らなかった、ヤンキーも進化してるんだ。

次にその傾向としては、本音でアツく語り、強さとチョイワルさを持ち、現状肯定的で地元志向。自分の仲間(部族・トライブ)を大事にし、リーダーシップがある。政治家でいうと橋下徹、芸能人ではEXILE。こういう傾向の人たちが今の日本のカルチャーを作り、消費傾向を左右し、自分の育った地元で起業したり新分野で成功したり、さらに世論を引っ張ったりしている。したがって日本の経済活動をリードしている、と。

なるほどね。

 

ところで、原田さんに先んじてヤンキー文化の深層を考えた精神分析医の斎藤環さんの、

「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)

には、もっとトンデモナイことが書かれている。

 

「日本人がキャラ性を極めていくと、必然的にヤンキー化する」というのですが、それはいったいどういうことだ?

先生おっしゃるには、若い人たちは、仲間や会社や地域といった集団のなかで「キャラを立てる」強い必要に駆られている。そうしないと生きていけないのだ。そして「キャラを立てる」ときは「欲望の形をはっきりさせて他人に示す必要」がある。そのとき「他人にも分かりやすい価値観」が求められるが、その「はっきりした欲望」とか「分かりやすい価値観」とは、とりわけ今の日本の現状ではヤンキー的なものになるのだ、と。

ナアル。しかしやや堂々巡りの話になっているかな。じゃあ「ヤンキー的なもの」ってなんだ? もともと斎藤先生は、自分はヤンキーを定義するつもりはないと言っているので、ありがちな断定に流されない所が逆にうれしいのですが(「ヤンキーには本質がないから定義しない」と言っておられる)、じゃ、そうしたヤンキー的なリアリズムが生み出す、社会的影響力の強い文化ってなんなんでしょうかということが問題になります。

では先生に替わって私思うに。まず、欲望の形をはっきりとさせて他人にそれを伝えるには、小難しい議論を避けて「オレがそう言ってんだから、いいじゃん」「四の五の言わずに分かれよ」的な、やや高圧的な態度になりやすいように思われます。「忖度しろ」とか。

つぎに、分かりやすく単純に考え伝えようとすることで、複雑さとか多様さとか「分かりにくさ」を忌避する傾向が強くなる。いわば、世間的にわかりやすい、つまり最大公約数的に思われる欲望に沿った言動をとりながらも、そしてそこから発生する「当然他人にも分かるはず」のカルチャーを広げようとしながらも、じつは、自分の中のとても狭くて情緒的な部分だけをリアルとして、そこだけを守ろうとしているのではないでしょうか。

それが「ヤンキー」と呼ばれる方々の特徴なのではないか。

 

すると、もしかしてそれは、とても保守的で排他的な性向・文化ではなかろうかという疑問がでてきます。だって家族や仲間を大事にしても、そこから外れた人への共感が足りなくなったらどうなります? もっと広い社会や、なかなか分かりづらい公共への想像力は鍛えられますか?どうなんだ、ヤンキー諸君? と、こんな質問をしても、自分はヤンキーですと自覚している方からお答えをいただけるとは思えませんが・・・。 

ヤンキーとは何かという議論はともあれ、ヤンキーを表層的な現象として、あるいはマーケティングのターゲットとしてだけ捉えていると、私たちは間違うかもしれません。もちろんそのようにラベルを貼るのは危ないことでもあるので、斎藤先生も定義を自重されているのだと思われます。

ということで、「保守」「排他」「社会」「公共」といった問題は、ヤンキーとは違う筋道で考えることにしましょう。

とりあえずヤンキー(とパリピ)が日本の、とくに「消費」社会と、ある一定の「文化」をリードしている説は了解。

 

 

9 とりいそぎ主語を『私』に換えてみる

 

お恥ずかしいことに、戦中派で長いこと商売人だったわが両親は国民年金に入っていません。これについては子供の私からも、国民の皆様にお詫びをしたい。

それで「なぜ入らなかったの? 国民全員の共済の義務でしょ! しかも年金がきちんともらえる世代なのにもったいない!」などと問いただしたところ、「お国は信用できない」とひとことのたまうのです。

なるほど戦時中は大本営発表に騙された。敗戦でコロっと方針が変わり、それまでの話は全部ひっくり返った。強制された拠出金も返済されず。そうなると、国民全体で支えようという趣旨の年金保険制度も、国の方針でいつなんどきひっくり返るかもしれないから信じられない、ということになってしまったのは無理からぬことではあります。

たしかに「契約」だと思っていたら支給率を変えられているし、そうこうしているうちになんと原資を株に投資する、さらにそれも5兆円の損失を出している、なんていうことも起きましたね。両親の判断はあながち間違いではないのかもしれない、と思えてしまう現状です。あの世代の人たちはそういう経験の中で、国との関係性における「個人」の意識を育ててきたのかもしれません。いいのかどうか分からないけど。

 

ただ、このエピソードも、じつは憲法改正問題に関係してきます。

「『憲法改正』の真実」 樋口陽一/小林節(集英社新書)

では、憲法は「個人」と「国」の関係を決めるルールだといいます。フムフム。

この本で強調されるのが「憲法は国民を縛るものではない。国家権力を管理するための最高法規である」ということ。そして、じゃ誰が「管理」するかというと主権者である「国民」一人ひとりなのだ。ところがある改正案では、そのへんがあいまいになってきて、逆に「国家」が「国民」を管理するような表現が増えてきている。

もしそうだとすると、これはうちの両親ともども真剣に考えなくてはなりません。

「(国が国民を)管理する」という表現がもし当たっていて、国がそのつもりなら、国が勝手にルールや契約を変えることがより一層しやすくなります。今でさえ「法律」が「多数決」だけで変えられているというのに、なんということでしょう。

と考えて、ひとつ思いついたのが、いまの憲法の「国民」とか「個人」という表記を、「私」に換えてみたらどんな風になるだろうかという実験です。つまり、逆に「国民が国家を管理する」という意思を強く出す表現として「私」を主語にしてみる。

たとえば前文。「我々」を「私」にすると、

「『私』は(中略)『私』の子孫のために、、、(大幅略)ここに主権が『私』に存在することを宣言し云々」となる。うん、いい感じ。自分という個人が国に対して宣言している。

「そもそも国政は『私』の厳粛な信託によるものであって、その権威は『私』に由来し、その権力は『私』の代表者がこれを行使し、その福利は『私』がそれを享受する。」

「『私』は(中略)平和を愛する諸国民の構成と信義に信頼して、『私たち』の安全と生存を保持しようと決意した。」

 

いいじゃないですか。主人公がはっきり「私」になりました。国民一人ひとりの「私」。

ちゃんとした個人主義では、どんな表現でも主語がすべからく「私」になっていれば、たとえそれが憲法との関係でもその正否が判断しやすいと思うのです。信託も権威も権力も「私」のものだし、享受するのも決意するのも「私」です。おもしろいので、もうちょっと続けます。

12条 「(前略)自由及び権利は『私』が不断の努力によってこれを保持しなければならない」

13条 「『私』は個人として尊重される」

25条 「『私』は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

努力するのも「私」、尊重され、権利を有するのも「私」。

たとえばこういう条文の規定があって、これなら「私」としては嬉しく思うということであれば、そしてそういう「私」がたくさん居て、国と私の関係はまずここから始めましょうということであれば、とりあえず私には異議がありません。

ところが、「いやこれだけではダメだ。今は国の周辺の状況が違う」とか、「個人の自由と尊厳は無原則に尊重されるのではなく、まずはお国の、そして多数者の決定に従え」とか、「国家の秘密が大事なので、個人の問題はそのあと」とか、「美しい国の伝統と道徳を守らなくて何が個人の権利だ」とか、「『私』よりも『公』が大事だろっ!」とか・・・そんなことを強く言う人たちがいるのです。

私にはこれらが、主語が不明確で、法律と憲法を混同した主張に思えるのです。

つまり、憲法のレベルではないことや道徳とか価値観のようなものを憲法に公式に反映させたい、と思う人たちが多くなっているように思えてならないのです。たぶんこういう人たちが私の両親のような人間を混乱させ、お国やお上に対する不信の念をつのらせたのではないかと思うのですけど。

どうでしょう、国民の皆さま?

 

 

 

 

 

10 ジモト経済をあなどるなかれ

 

カフェを営んでいると、あたりまえのことですが、身の回りでいろいろな「交換」や「贈与」が行われていることに気づかされます。

庭で獲れすぎたプチトマト、いただきもので食べきれないメロンやキュウリ、作りすぎたおかずのおすそ分け。それだけではありません。子供さんからカフェに感謝状をいただいたり、読まなくなった本をあずかったり。

そのなかには、もちろん形のないものもあります。

たとえば情報。良い病院に良い介護施設情報。健康に良いもの、悪いもの。安売りのお店の情報に、地元の催し。そしてそこで起きたあれこれ。赤ちゃんのあやし方や育て方を教えあったり。

たとえばお話し。小学生から学校で起きていることを聞き、先生から同じ話を違う角度から聞いたり。親の介護のいきさつを伝えあったり、日本舞踊の先生がどのように弟子を育てるのかをうかがったり。

地元で交換され贈られるこうしたモノ・コトは、自分の益になるかならないか分からないし、もしかしたらずっと後で役立つかもしれないこと、かもしれない。もちろんおカネが介在しないので、国民総生産としてはカウントされもしない。でも、モノやカネと同じように人の手から手へとめぐって、増えたり減ったり、形を変えたり利息を産んだりする。

 

そう考えると、こうした「交換」を中心とする「ジモト経済」には、日本経済新聞に載っている「経済」とは異なる、はっきりした特徴があるわけですね。すなわち、

@ 金銭のやりとりがほぼ発生しない

A したがって課税の対象にならない

B モノのやり取りにも、なんらかの気持ちや感情やお話が伴う

C 一定の地理的範囲を超えることは少ない

D 人のつながりによって成り立っている

ということで、ご紹介したいのが、「ゆっくり、いそげ」(影山知明/大和書房)

 

これは、西国分寺でクルミドコーヒーというカフェの店主が出された本で、このようジモト経済の特徴やその活かし方が豊富につまっています。フムフム、するとクルミドコーヒー店は、わがブックカフェデンの、いわば大先輩だね。

影山さんは、その経験からたとえばこんなことを言います。

「人は『贈り物』を受け取ったとき、『ああ、いいものを受け取っちゃったな。もらったもの以上のもので、なんとかお返ししたいな』と考える人格をも秘めている」。

これはどういうことかというと、人は、金を払ったんだからこのくらいのサービスを受けるのは当然だと考える「消費者的な人格」とは逆の、「受贈者(贈り物を受け取ったので、お返ししよう)的な人格」も持っている、ということですね。

こんな考察から、本の中にはたくさんのことが導かれているのですが、そのひとつに、

「カフェのお客さんの中にはいろんな人がいるので、ポイントカードやポスティングをすると、その人の中の消費者的な人格のスイッチを入れかねない」ということがありました。なるほどね。

ジモトのカフェ運営では、お金のやり取りですべてチャラにするという生産/消費の関係だけじゃつまんないじゃないか。それだけだと人と人のつながりなんてものも生まれにくいじゃないか。だからカフェのポリシーとして、消費者的な人格のスイッチを押すようなことはやらない。そういう主張のようです。

 

ここでいったん視野を広げて、私思うに。

政府のいわゆる「成長戦略」には、投資対象としてIT産業やバイオ産業、それから経済成長を刺激する期待としてオリンピック、リニア新幹線、原発再稼動、そして隠された期待としての新しい市場形成、すなわちカジノ、武器輸出、兵站受託などがあるように見受けられます。これらは直接国のマクロの経済、つまり、国民総生産を引き上げるものです。というか、あたりまえのように生産と消費という活動を政府が刺激するという政策ですよね。しかしこういう政策は、いつまでも続けられるのでしょうか。その政策を実現するお金はどこから出て、どこに還っていくのでしょうか? と、思い返してみると、日本政府は国債を発行して延々とこの作業をし、ついに1000兆円を超える借金をしていたのでした、じつは。すでに。

この先も同じように続けていくのでしょうか。それで大丈夫ですか?

 

たぶん政府は、国民の中の「消費者的な人格」を刺激し、スイッチを押し、お金を使ってもらい、もって個人消費の増加による経済成長を続けるしかないと思っておられる。この政策しか「成長戦略」はないと思ってらっしゃる。はたしてそうでしょうか。

もしかして、もうひとつ別のやり方として、「受贈者的な人格」の集うことの多いジモト経済を刺激し、そこに投資する手はないのでしょうか(当ブックカフェに投資してくれ、ということではないんですけど)。ジモト経済への肩入れは、結果の経済成長率という数字としては表面に出にくいので、経済政策として難しいのでしょうか。それとも、それは数字に出ないから、もともとやってもしょうがないと思われているのでしょうか。

しかし私は、ジモト経済をあなどるとえらい目にあうかもしれないと思うのですね。そして、マクロなものではなくミクロの、そして半径10メートルくらいのところから、きっとまだまだジモトの知恵が出せることがあるのではないかと思うんです。

この問題は、カフェの営業ともども、ずっと続けて考えて行くことにしましょう。

 

 

11 日本の「寂しさ」と「悲観」

 

オリンピック(2016)が終わると、ちょっとした寂しさを感じます。

それは、個人個人がその技量と名誉をかけた戦いが終わったということよりも、国がメダルの数を競い争った勝負(としての戦争)が終わってしまった、という寂しさかもしれませんが。たぶん、「国対国の勝負というお祭りが一回終わった、つぎを待つしかない」という、いわば過ぎ去った「勝負ごとの機会」そのものへの寂しさを抱くのはしょうがないことです。獲得したメダルの数の勝負としての「安全な戦争」はまた四年後か、という感慨です。

そういえば、わが敬愛するギャビン・ライアルの小説の中である人物が、

「久しく戦争に恵まれていないのがいけないんだ。戦争があれば勝利もありうる。平和の世では、ミスをおかさぬように汲々とするだけだ。勝ちとるべき勝利がないのでは、人をどうやって評価するのだ?」

と言っていましたが、極論とはいえ、たしかにそういうこともあるかもしれませんね。

人はどこかで勝ち負けの結果を求め、誰かの、あるいは何かの評価をいちど確定したい気持ちにかられる。その「機会」という点では、オリンピックも戦争とかわりありません。

 

さて「寂しさ」に戻りましょう。

今の日本を覆っている「寂しさ」というのは、(オリンピックという戦争が終わったからではなく)じつは「過ぎ去った機会(栄光)」への寂しさであり、私たちはそんな三つの寂しさを抱えているのだと書くのが、

「下り坂をそろそろ下りる」(平田オリザ/講談社現代新書)です。

 

三つの寂しさとはなにか。

ひとつは、日本がもはや工業立国でないということ。

ふたつは、日本は成長社会に戻ることはないこと。

みっつは、永年アジア唯一の先進国として君臨してきたこの国が、アジアの一国として名誉あるふるまいをできるようになるのか(いや、なかなかそうはならない)ということ。

いずれも、もう結果の出た勝負に抱く寂しさには違いないのですが、筆者はとくに三つめの寂しさを強調します。

というのも最初のふたつは、人口が減少し、高齢化が進み、経済成長が止まり、成長戦略や金のバラマキやアベノミクスではどうにもならない、いわば勝敗の定まった「定常社会」という「事実」の寂しさだけど、三つ目は、その中でどうやって滅びずに、イキイキと、誇りをもって暮らしていけるかという、いわば負けちゃっているけど誇りをどう持ち続けるかという、「これからの寂しさ」に対処する難しさを含むからです。

 

ちなみにある調査(日本の言論NPOなどの団体による)では、将来について楽観的な日本人は2割にとどまり、その理由としては高齢化や経済の停滞を挙げる人が多いそうです。こうした「悲観的」という感情、というか現実の捉え方も「寂しさ」のなせるわざなのでしょうね。つまり平田さんの抱く最初の二つの寂しさは多くの日本人共通のもののはずで、それを前提に三つ目を考えなければならないのは当然です。

さてでは、この「寂しさ」を抱えながらこれからどう誇りをもって生きるか。

著者はいいます。

まずは、寂しさに負けてヘイトスピーチや差別に走ったりしてはいけない。これ、人間として大切なことだ、強くあらなきゃいけないぞ、諸君、と。

つぎに、衰退期には衰退期なりにやれることがあると勇気を持つこと。とりわけ、地域独自の取り組みや「関心共同体」を作っていくこと。これも、とても大事だぞ、諸君、と。

さらに、その取り組みも東京標準で考えずに「可能な限り世界標準で考える」こと。これは難しいことだけど、やれるはずだぞ、と。その場合のヒントが芸術や文化(活動)の中にあるのだぞと。

 

こうしたオリザさんの主張は、ひとつの提案としてスジが通っているように思われます。

しかし、この政策提言を実際に動かそうとして具体的な戦術や行動に取りかかる前に、まずは私たちのだれもが「それ」を認めるところから始めなければなりますまい。「それ」とは、現状認識としての日本の「衰退・シュリンク・下り坂」です。

というのも、このキーワードを肯定し、むやみに「寂しさ」だけを強調することなく、その、そもそもの元の部分を共有するところからでなければ、どんな試みも実を結ばないだろうからです。ところがじつは、これが本当に日本人共通の認識かというと、どうもそうではない人たちもいるようです。

だからここでは、皆でまず「それ」を認めましょう。ご唱和ください。

経済成長はない。奇跡のようなイノベーションもない。経済は停滞し、GDPは伸びない。人口は減る。年寄りは増え、若者は減る。税金は増え、年金受取額が減る。当然オリンピック(2020東京オリンピックの次のオリンピックから)のメダルも減る。

それらの寂しさに耐えたうえで、しかしできることもある。ではまたご唱和ください。

自分の住んでいる地域に目を向ける。自分の近くで新しい動きを作る。文化を育てる。その新しい動きで世界とつながる。さらに、下り坂をゆっくり降りるスキルを身につける。そしてむやみに悲観せず、ゆっくり降りるスキルを身につけた大人としての自尊心をもったふるまい(これってハードボイルドだなあ)をする・・・どうでしょう。

 

 

12 「想像する訓練」を習慣にする

 

2016年7月、相模原市の障碍者施設での悲惨な事件。施設の職員が障碍者を多数殺害しました。今年の10大ニュースに入ってしまうのでしょうね、残念だけど。

つねに社会的弱者が危険にさらされてしまう。そしてその「危険」をもたらすのが「人」であることが多い、ということになってしまいます。まことに残念ですけど。

 

さて、

「いくつもの声」(ガヤトリ・C・スピヴァク/人文書院)

には、きわめて明確なメッセージがありました。

それは、私たちはものを考えるときに、弱者や社会の下層にいる人たちのことを「想像」して判断しなければならない、というものでした。もちろん優性思想などに惑わされてはいけない。

 

異議なしです。ところがこの「想像」というのが難しいことでして。

いったい私たちは、自分の経験したことのない状況や他人のふるまいについて、まったくのゼロベースで想像することができません。誰もが自分の少ない経験から、やっとこさ他人の置かれた状況を慮り、自分の価値観に照らしてその考え方や行動をなんとか予測し、それに対してだいたいにおいて少しピンボケの判断と対応をしてしまう。

さらに他人の人格や行動のよしあしを「判断」したり、それに対して自分がその人のために良かれと思って「行動」するときにも、その人が弱者であればあるほど、そこに別の価値判断が混ざりこんできてしまうのも、またよくあることです。

こうしたことから、神ならぬ私たちは公正で平等な判断ができずに苦しむことになります。もちろん倫理観が強く、共感力があり、苦しむことのできる人であるならば、という話ですけど・・・。

かくして、自分の経験したことのない状態に置かれている他人の状況を想像するということは、並大抵のことではありません。

 

もしかしたらジョン・ロールズなどに親しんだ方には「無知のヴェール(なんの先入観も利害関係も持たずに、自分が原初状態にいるかのごとく判断する)」という方法になじみがあるかもしれませんが、実際にふだんの生活の中で「自分の価値基準を棚に上げて物事を判断する」というのは、これまた至難の業です。私には満足にできそうにありません。

ということで、「想像」は難しい作業なので、そのためには訓練が必要になる。それをスピヴァクさんは「自分自身を、他者の中で他者のために棚上げする」訓練だといいます。

これはどういうことでしょうか。

まずは、私たち自身の利益や関心をいったんないものとする。

それから、平等とか公平とかを考える際に、平等が「だれにとっても同一の状態のことである」と思い込まない。つまり「同一の状態」が「平等」なのではない。

そして、建設的な自己批判によって(自分の)言論の自由を制限する。

自由を制限する、とりわけ「言論の自由」を制限する、とはなじみのない表現で誤解を招きやすく、したがって具体例を挙げないと分かりにくいところですが、私は、「自分の言葉のレベルを高くしておく」ということだと受け取りました。つまり、自分は自由なんだから何を言ってもいいということにはならない、という確信をもつことです。自由だからこそ、自分で制限「できる」。もちろんヘイトスピーチなどをする余地も自由もない。

 

ここは大事なことなので、ぜひこの本を読んで自分でご判断いただきたいっ。

ただ、簡単でないことであっても、こうしたことを「習慣」として続けて、「自律した批判的思考」を獲得していくこと、それが「想像の訓練」になるのです。

そして、ここからがいっそう大事だと思うのですが、筆者はこの習慣こそが自由・平等・公平といった民主主義的な価値観を育てるもとになるのだ、とも言っているはずです。

私のこんな要約が正しいとすると、障碍者施設事件の被疑者は、たんに「障碍者は社会に不要だ」という自分の価値基準だけを頼りにして事件を起こした人というだけでなく、他人への想像力がなく、その訓練もすることなく、自分に対する自省的な批判の習慣を養わず、もって日本の民主主義の根幹をあやうくした人だということになりそうです。

「民主主義は、判断の訓練に基礎をおくものである。(それは)自己の自律と他者の権利との間の綱引き」だ、とスピヴァクさんが述べるとき、そこにはふかーい理由があったのですね。

 

 

13 ギャビン・ライアルを40年後に読み直す楽しみ

 

イギリスの作家ギャビン・ライアルをご存知の方は多いでしょう。

1932年生まれ2003年没。どういうジャンルの作家に分類したらいいのか分かりませんが、ミステリー/冒険/アクション/スパイ/などなど、いろいろな範疇をまたぐ作家です。

そのうち、初期の四つの小説がハヤカワ・ミステリー文庫にあります。

1961年 「ちがった空」

1963年 「もっとも危険なゲーム」

1965年 「深夜プラス1」

1966年 「本番台本」 

 

いずれも名作ばかりで、若い頃の私の愛読書でした。これらを書いたとき、彼は30歳前後なんですよねえ、驚きです。それで「若い頃の私」から40年がたち、「いま読んだらどんな感じかなあ」と思って読み直してみたわけです。

いやあ、やはり、すごいっスね。

なにがすごいかは読んでいただくしかないのですが、ここでは、個人的な「読みなおしの楽しみ」をお伝えしたいと思います。

まず、この40年間で私の方は個人的に、「これらの小説の舞台となった土地」のいくつかに行き、作中の場面が具体的に想像できるようになったこと。ギリシャ(エーゲ海)、フランス(中部)、ドイツ(ベルリン)、ハンガリー(ブタペスト)、そしてイングランド(ロンドン)などなどです。

行ったことのある場所が舞台になっていると、その風景や天候や、それに影響される人の心の描写の「冴え」がいっそう理解できるようになった、これは嬉しい。

つぎに、しかしなんといっても、ライアルの表現力に改めて感動できる楽しさ。 

こちらが歳を重ねてようやく理解できるようなことが、いともさりげなく書かれていることを再認識しました。ほんとに30歳の若さで書いたの、これ?という驚きを覚えます。

 

ちょっとだけ例を挙げましょう。まずは登場人物の会話から。

「人を理解するというのは、かなりひどい仕打ちなんだぜ」

(自分が壊れないように)自分がつねに正義の側に立っていると思い込むんですよ」(いずれも「深夜プラス1」)

「ハリー、政治では愛して失うより、初めから愛さない方がいいんだ」

「そう、わがハリーは、ときおり"正しいこと"をしようとするのだ。恐ろしいことだ、そう思わないか?」(いずれも「影の護衛」)

イギリス文学伝統の、なんというか上流階級のサロンでの、ウィットに富んだ会話のような雰囲気と、内容の深さがあいまって味わい深く、噛めば噛むほどおいしい。

そう、そしてイギリスの伝統といえば、警句のようなものはいくらでも挙げられます。それらはいずれも、登場人物の口を借りてライアルの肉声が聞こえるような気がして、思わずうならされるのです。

「眠られぬ夜というのは、眠る努力を始めるまでは正式にスタートしたことにならない」

「相手が自分の立場を知っていることをお互いに分かっている。そういう関係をある者は忠誠心、とよぶ」

「静かな一夜。そしてとつぜん、さよなら、と手を振ってすませることのできない何者かが自分の生活の中に出現する。動かせないもの、ある種の約束だ。」(いずれも「本番台本」から)

ちょっと気取っているけど(英文学の伝統というものは根深い)、いいですよねえ。

 

まだまだ改めて気づかされたことがあります。たとえば、政治とか男女関係などに関する警句は、これまたイギリス伝統のものということが理解できるようになりました。

「デモクラシーというのはたんなる習慣にすぎない、、、。数百万人の人間が本能的に言う『冗談じゃない、そんなことさせてなるものか!』それだけなんだ」

「会議が続いているのは、すでに終わっていることを誰も言い出したがらないからにすぎない」

<方針>とか<政策>とかいう言葉が出ると、なぜか人は立って、その辺を歩きながら話す」

「二人の関係が、相互理解が可能だという自己欺瞞の上に成り立ったことは、かつて一度たりともなかった」

「盤石に見える男の世界は、女という、ままならぬ砂の上に建てられているのだ」

人生に対するシニカルな見方、でもそれは嫌味ではない。その底には多くの経験が裏打ちされていると感じさせる言葉。なんでこんな風に書けるのだろうと思い、それがうらやましくも興味深いのです。

ところで、じつはライアルの主人公たちは誰もみな「自分の作ったルール」に忠実に生きようとしています。だから、どんな立場であろうが彼らには楽な道はない。ライアルはそれを、彼らの考えや行動で表すだけでなく、人物や風景や心象などさまざまな描写で表しています。私をして言わしむれば、これすなわちハードボイルド的小説の楽しさ。

そしてこれを読み直して再発見する楽しさ。ということは、

「大男がにっこり笑った。岩の表面にとつぜん割れ目ができたようであった」

「彼女はどんなトラブルでも真正面からあごを突き出して取り組んでいくタイプだ。あごが傷ついたら最高の名医に治させて、

またあごを上げて行くに違いない」(いずれも「もっとも危険な      ゲーム」) 

こんな描写にビビッとときめいた方、あなたはもうすでにライアルの術中にはまっているというわけで、きっと何回も読み直す羽目になります。

 

 

14 成熟を見守る『賢者』はどこに?

 

カフェのマスター像としては、カウンターの中でコーヒーカップを磨きながら、お客さん(とりわけ若い方々)の悩みを聴いてあげたり、豊富な知識と人生経験によるアドバイスをしてあげたりする、というのがあるようです。

テレビドラマでよく出てくるバーテンダーさんもそうだけれど、じっと周囲の状況に耳を澄まし、お客さんの会話に気をつけているけれど余計な口は挟まず、必要とされるタイミングで的確なコメントや情報を提供する。あれですね。たとえば、キムタク主人公のテレビドラマ「ヒーロー」で田中要次さんが演じていた、「なにを注文しても『あるよ』と言って出してくる寡黙なカフェマスター」も同じで、求められるものはいつでも提供できる準備をし、主人公を静かに見守っている賢いマスターのイメージです。

彼らは世に隠れた「賢者」に違いない、と私には思えます。でしゃばらず、自然体で、飲み物とともに言葉と知恵を提供し、相手に気づきの機会を提供し、かくして人を心地よく導くすべを心得ている。そういう人はマスターに限らず、文学者や批評家などとして、きっと世の中にたくさんいるはずだと思うのです。

 

ところが、

「幼さという戦略〜「かわいい」という成熟の物語作法」(阿部公彦/朝日新聞出版)

を読んで感じるのは、しばらく前には「(カフェマスターのような)賢者としての作家」が必ずいたのに、いまの文学の中で、読み手の成熟を助ける役目を受け持とうとする「賢者」がいない。彼らはいったいどこに行ったのだろう、という疑問でした。

 

「幼さのあふれる現代の日本。目につくのは無害で安心感の漂う幼さ、弱さ、かわいさばかり。人々は幼さを社会構造の中で強要されてきたと言える。成熟して『大人』になるというライフスタイルは揺らぎ、大人も老人も生涯を通じ『幼さ』を演ずる」

こう書く筆者は、まずは、「幼さ」を積極的な戦略として活かした文学者を例に挙げて、その心理、美学、思想などから、むしろ幼さの「独特の魔力」を抽出しようとします。いわく、萩原朔太郎、太宰治、小島信夫、谷川俊太郎、江藤淳、古井由吉、武田百合子、多和田葉子、そして村上春樹。  

ほうほう、ちょっとなるほどね。

ここで筆者の意図は、「幼さには力があり、幼さを通してこそ生きてくる言葉がある」、だから幼く弱い人にも「語る」という特権的行為が全うできる。そのことを、「幼さ・弱さ」を戦略として使った文学者の試みから証明しようということのようです。

もちろんその戦略はアリだ、と。「賢さ」だけが正しい戦略ではない、と。

つまり「幼さ」を単に否定するのではなく、文学のなかに「成熟した知恵」だけを求めるのでもなく、「私たちは書物から知恵を求めるとは限らない。いや驚くべきことに愚かさを期待することさえある」として、「近代人が幼い人として生き、幼い言葉を操ることは、人生を生き延びるための巧妙な方策であり、戦略である」と主張するのです。

なるほど現在は、そうした方策や戦略を意図的にとった作品が、「あ、ここには自分のことが書かれている」と、(自分を弱くて幼いと感じている)多くの読者の共感を呼ぶのかもしれません。そこには成熟そのものにもはや価値を見出さないような「語り」があり、いやむしろ幼さや弱さに積極的な価値を見出そうとする「語りの位置」があり、それにたいして多くの人が寛容に、いやむしろ積極的に受け入れるようになっている。

ひらたく言えば、幼さや弱さこそが共感を産んでいる。

 

でもどうなんでしょう、しかしながら、これは危ういことではないでしょうか。

もちろん私たちは、文学に「生き延びるための賢い知恵」だけを求めているのではないですが(そのためには「人生の指南書」みたいな本がいくらでもある)、幼さと成熟、弱さと強さ、愚かしさと賢さを全部ひっくるめた、いわば仮想体験・レッスンの場を求めている面もあるはずです。つまり読者は、作家によって提出された世界観や仮説の中で自分の立ち位置を探り、考え、決めていくというエクササイズをする。というか、そういう気持ちを持って読むことが、作品に向かう真摯な姿勢としてあるはずです。

ということは、私たちが作者に提示された幼さや弱さを無反省に自分に同化させてしまうと、それは自分や周囲に対する「甘え」に通じるのだと、かつて土居健郎先生の言われた通りで、普段の生活上の戦略としては危ういものになりかねません。もちろん、実生活上で他人の「幼さ」や「弱さ」に寛容であったり、そうしようと試みることは正しいことですが、それと文学作品を読むときの態度とはエクササイズの趣旨が異なるのです。

 

作家が無意識に「ある価値観」を戦略として前面に押し出しているように感じられたら、それは作家側の懐の広さ狭さに起因することかもしれない。私はそんな懸念も持ちます。そして、この本の筆者が想定しているような「幼さの美学、思想」というのは、書く側の、やや自己満足的な方法論に則った物言いなのかもしれない。もちろん、いらぬ心配かもしれませんが、こんなちょっとしたことで文学の骨が細ってしまったら困るのです。

そして逆に、自分の弱さや幼い言葉を戦略的に操ることには危険が伴うのだよ、ということを、「知恵」として教えてくれる「成熟した大人の文学」こそが必要ではないかと私は思うのです。

いかがでしょう。

むしろもしかしたら、幼さや弱さの美学や思想の持つ「特権性」というのは、それによって権力に抗ったり立ち向かったりするところにあるという面はないでしょうか。そうだとしたらそれこそが、弱さをどう強さに換え、幼さをどう成熟や影響力に昇華するかという、人生の「戦略」の問題を扱う思想となるはずです。とすると、やや強引ですがもしこんな言い方が許されるなら、書き手が小説や物語に取り込む戦略は、「賢いカフェマスター」の立ち位置での「語り」でなければならないのではないか。それによって客(読者)は自分の成熟方法を振り返り、自分の居る位置を確かめてエクササイズを続けるのだ。

で、私の希望としては、どんな文学作品の中にも「賢いカフェマスター」がいてほしい。

 

 

15 ポリティカルに適正な表現と意思表示

 

イギリスの国民投票での、EU離脱の意思表示(2016年のブレグジット)にはびっくりしましたが、

「ヨーロッパ・コーリング 〜地べたからのポリティカルレポート」(ブレイディみかこ/岩波書店)を読んで、その背景がよくわかりました。

 

イギリスでは、スコットランドの独立、核兵器廃絶、移民を受け入れるか否か、シリア内戦にどう関わるかなどの大きな問題について、上下と左右と斜めと、あれとこれとそれの意見の組み合わせによる政策の違いが噴出しているのでした。

なかでも一番大きな問題は、イギリスでも富裕層と貧困層の格差が激しくなり、これが保守党サッチャー政権以来の新自由主義の結果だと考える人が多いということのようです。サッチャー後の労働党トニー・ブレアの「第三の道」路線でも問題は解消されず、それをまた保守党キャメロン政権がダメ押ししている、と。これを筆者は、右対左ではなく「上対下の戦い」が起きているというのです。三次元的にややこしいことです。

一方でEU内の他の国、財政破綻寸前だったギリシャやスペインに対するEUの措置は、緊縮財政を強いることでやはり上下の格差を広げて固定することに加担している(と思っている人が多い)と。これではイカンと立ち上がったのが、スペインのパブロ・イグレシ

アス率いる「ポデモス」や、スコットランドのニコラ・スタージョン率いる「スコットランド国民党」、そしてイギリスでも労働党のジェレミー・コービンなどの「社会主義的な政策」だと。

 

なるほどなるほど。

資本主義とその理念である新自由主義そのせいで格差が広がっていると多くの人が判断し、それではおかしいと怒っているのです。そうそう、EU離脱に反対した大ロンドン市域には確かに富裕層や金融業が多く、その人たちと、階層的に低い状態にあるスコットランドやウェールズや北アイルランドの人たちの意識の違い。それもあったのですね。

さて、私はこの本からこうしたことを学ぶことができたのですが、強く感じたのはじつは別のことでした。

これはイギリスの伝統なのかもしれないけど、イギリスは「政策を語る言葉」が豊富だなあ、優れた表現をする人が多いなあ、ということです。それはもちろん議論にたけた政治家だけでなく、ジャーナリズムもそう、政治や社会的な問題に関与するミュージシャンや俳優などのアーティストもそう。いったいどうしてなんだろう? この疑問がひとつ。

もともと政治に対する意識が高いのでしょうね。それはそうでしょう。慣習法の本家だし。「意識高い系」の人はなべて「ポリティカルな表現力」に優れているし。やはり、基本的にだれもが政策ディベートを大事にする意識が強いなと感じるのです。それはたとえば、スコットランド国民党の党首ニコラ・スタージョンのこんな言葉からも伺えます。

「私たちの政策ディベートのレベルを、暴力的な脅しやミソジニー(女性蔑視)、ホモフォビア(同性愛嫌悪)、性差別、レイシズム(人種差別)などの低みにまで下げることは是認できません。」立派です。

だから、ちょっとでもそんな低いレベルで議論すると(もちろんイギリスでも相手の揚げ足とったり、汚いヤジやネガティブキャンペーンやスキャンダルの暴きあいはあるようですが)、最初はウケたとしても、しばらくして国民からも飽きられる。

 

アメリカ大統領選挙のひどさはしばらく措くとして、どうですかね、日本の政策ディベートの実態は。日本では、もしかしたらここで「低み」として挙げられた要素が満載ではないでしょうか。違います? 日本のポリティカルな言葉のレベルはどうなんでしょうか。

そうその点で、日本の現状をイギリスから見て、筆者はこんなことを言っています。

「たとえば、『一億総なんとか』と国が言い始めるときは、国民を画一的なひとつのものにしようとしているのだ。(中略)それに当てはまらない人間はいない者にされてしまう。」

「一億総なんとか」は、ひとつの政策ですから、これによってディベートのレベルを計るものではないかもしれません。しかし政策の言葉が「実態を伴わない標語」になっていたとしたら、そしてさらにそれが「(政策の目指す状況に)当てはまらない人間」を作ってしまう言葉だと考えられたら、それはきっとレベルの低い言葉である証拠なのだと思って間違いないようです。    

そしてさらに懸念されるのは、使う言葉に対するこんなちょっとした無神経さが、もしかしたら政策に影響して「格差」を助長するのではないかということです。

言葉が格差を助長する、うん、私いいこと言った。

 

すると、では私たちはこれから、国会やメディアで討議されるときの「言葉の使い方」に注視していくことにしましょう。たとえばこんな観点で。

そこに「それに当てはまらない人間」を作るような意味は込められていないか? 

政策ディベートとして政治家らしい「高いレベル」の議論がなされているか? 

言葉がたんなる標語や旗印として独り歩きしていないか?

すなわち、ポリティカルに「適正な言葉」が使われているか?

そして、もしそうなっていない場合に、「正しい議論の仕方ができていないじゃないか!」と声を上げるものがいるかどうか? いや、私たちがその役割を果たせているか?

そうなんです。イギリスのEU離脱とか難民問題とか格差是正とかの大きな政策マターに目を奪われて、自国の議論のレベルを高めることをないがしろにしていると、私たちはそのうち「いつの間にか(他人に)されてしまった自分たちの意思表示」そのものにびっくりさせられることになるかもしれません。

 

 

 

16 日常の、小さく、些細な、断片のような真実

 

カフェで起きる出来事は、もちろん人生を変えるような大きなことはなく、小さな断片のようなものばかりです。

それは「出来事」なんて表現より「(小文字で)デキゴト」と書きたいくらいのもの。たとえば天候や食べ物についての会話、親の介護の話、子どもさんの進学の話、趣味についての情報交換、お知り合いの偶然の出会いなどなど、エトセトラエトセトラ。

私たちの生活はそんな様々な「小さな断片」が、日々積み重なることによって成り立っているようです。

 

「断片的なものの社会学」(岸 政彦/朝日出版社)                                                    

には、社会学者としての筆者が出会った、日々の断片的なデキゴトが集められています。

しかしそれが、たとえば文学者の「身のまわりで感じたことへの随想」といったおもむきのものにならないのは、やはりそこにきちんとした方法論があるからなのでしょう。

「私たちは(たくさんの物語を)組み合わせて『ひとつの』自己というものをつくりあげている。・・・私たちは(そういう)物語を集めて、世界を理解している。」

つまり、日常の小さくて断片的なデキゴトをどう組み合わせるかによって、自己と取り巻く世界とが違ってくる。それは組み合わせ方が正しいとか間違っているとかいうことではなく、あくまで自分が思う自己のつくり方の違いだ。それが自分の「世界理解」になるのだ、と。そしてそこからさらに筆者は、「私たちは(自身が)小さなものだからこそ、自分が思う『正しさ』を述べる『権利』がある」と主張します。

どういうことか。

 

小さな自分が、小さなデキゴトを通じて、世間に小さな権利(自分がここに居るゾ、という)を主張している。それが自分と世の中の成り立ちだ。ならば、たまたま目に触れたそんな小さなデキゴトを拾い上げ、聴き取り、「多様多彩な権利」として記述することが「世界理解」の方法となる。筆者の世界理解になる。そしてそれが弱者のことであれば、なおさらに「社会学」的な方法としてあっていいはずのものだ。

こうしたことからこの本には、市井のいろいろな人へのインタビュー、とくにホームレスや生活困窮の人からの生活の聴き取り、そしてその過程で出会うささいな物語、日々の生活で出会った出来事がバラバラに記されています。

そのとき筆者の願いはたぶん、その人独自の権利を拾いあげたり、語られる物語独自の正しさに共感することで、もしかしたらそこに組み合わさるべくして組み合わさる「何か」(たぶん、いろいろな「自己」)が現れるのではないか、ということだと感じられます。

ところで話はかわりますが、筆者は小さい頃に小石を拾っていつまでもじっと眺めていたといいます。「この小石がまさに世界のどの小石とも違うということに陶酔していた。」

 

これはじっさいには、社会学的な方法論からは遠く、たとえば文芸評論家の故秋山駿さんの行為にそっくりですね。ほお、おなじような人がいるもんだ。

それはきっと、世界に一つだけしかない「私」とはなぜこの私なんだろう、もしかしたら目の前の拾ってきた石が教えてくれるかもしれない、この石が何かを話し始めるかもしれない、という「祈り」のような行為だったに違いありません。

筆者はこのように、ささいなデキゴトや小さな破片のような物語を、拾ってきた石のように目の前に置いていくのです。なのでそれは「デキゴト」の収集というより、「(道端の石のように)解釈も理解もできないモノ」に位置を与えるような行為といえるでしょう。石を集めてきた自分だけでなく、これを読んでくれる読者の力も借りて、その「小石たち」が自ら話を始める場所に置く試み(エッセイ)のはずです。

 

するとこれは、、さっきと逆のことをいうようですが、社会学者の仕事というよりやはりむしろ、想像力や共感力を活かして世界の「あるべきひとつの形」を発信しようとする文学者のそれに近い行為なのかもしれません。だからこそ、「私たちは生まれつきとても孤独だ、だからこそもう少し面と向かって話をしてもよいのではないか」と筆者が書くとき、孤独で断片的である『私』が快く居られる場所と、そこで心地よく居られる『私たち』の姿を見つけられる可能性を示唆しているように感じられます。

そして私には、筆者と「(精神的な)小石仲間」である秋山駿さんの、私小説についてのこんな記述が思いだされるのです。

「私小説はごくふつうの人が生きる『日常』を描く。その日常は悲劇も事件もなく、日々繰り返される『平凡』という生の画布である。そこには誰もが自分の生の触手で触れて確かめることのできる『人生の真実』があり、『人生の真相』がある』と信じたから」。 

 

 

17 文学はテロにどんな力を持ちうるのか

 

お客様が途絶えたカフェで、マスターがテロについて想いを寄せている、そんな風景にはあまり風情が感じられませんが・・・。

「テロと文学〜9.11後のアメリカと世界」(上岡伸雄/集英社新書)

を読むと、私たちは今、テロとどう向き合っているのかを改めて考えさせられることになります。

 

私たちはテロという「新しい困難」に直面している。それは間違いない。

その困難とは、テロによって生活上の不便が増えるということではなく、テロがいま私たちの身に降りかかるということでもありません。では、どんな困難か。それはテロが私たちに、テロを起こす人やテロの被害者への想像を強いるところに始まります。

テロやその報道に接して、私たちは「誰が?」「何故?」という疑問を否応なく抱え込まされてしまう。その疑問は容易に解消されることなく、いつまでも心の中の澱(おり)となって残っていく。

というのも私たちは、テロという行為とそれを起こす人を「私が知る必要のない他者である」として、自分とは無関係と一言で片づけるわけにいかなくなっているからです。そして困難は、その「他者」を想像しなくてはならない、というところにありそうです。それを具現化しないと、私たちは頭の中が疑問符だらけになってしまいますから。

 

テロを想像して、それはこういう理屈でこういう人がこういう風に起こす、と整理して、頭のなかのしかるべき位置に置く。それができるなら私たちは安心できる。つまり、私たちが気持ちよく生活するためには、テロと自分との関係を測定して、「自分にとってそれはこういうことだ」と分かる、というか「見切る」ことが必要なのでしょう。

ところが、私たちにとってその作業は困難をきわめる。というか不可能だと思うのです。(そんなこと簡単にできる、という方はいらっしゃいますか?)もしそれが自分に不可能なら、では、私たちに代わって想像してくれる人はいるのか。それを私たちに具体的に分かりやすく話してくれる人はいるのか。

警察や軍人では、ない。では文学者か。そうかもしれない。

もしそれが「文学者」の役割だとしたら、文学として行われる「テロを想像する営み」は、私たちに何を与えてくれるのでしょうか。変な表現ですが、文学は「テロを私たちの身近なもの」にするためにどんな力を持ちうるのか?

 

そんな疑問を持ちながら、この本で紹介されている9.11以降のアメリカ文学の中で、

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(ジョナサン・サフラン・フォア/NHK出版)を読んでみました。

主人公は9歳の少年。

想像力豊かでみずから発明家と称し、ユニークな発明をいつも”想像”している。しかしこの想像力は父親がワールドトレードセンターで亡くなったトラウマの所産でもあった。

「パパがどう死んだかを発明するのをやめられるから、僕はいつでも発明しているんだ。」

彼の心にあるのは、テロが起きたときにテレビで見た、ビルから落ちていった人たちの映像、通称「落ちる男」は自分の父親ではなかったかという思いだった・・・。

この小説では、文学の力は、父親の死を想像する少年の心情を想像することで、テロの実行犯、被害者、その家族を含めた世界のありようを想像しようと試みています。つまり、読者にテロを直接想像させるのではなく、少年を仲立ちにしているわけですね。

その試みが成功しているかどうかは分かりませんが、「理解できない」世界の事象を、なんとか自分たちの身近な地面に着地させようと試みていることに間違いありません。それなので「崩壊するビルから落ちる男」が自分の父親だったら、と(少年とともに)想像することを読者に強いているのです。

 

私たちは「自分に理解できないもの」をいつまでも持ち歩いていることができません。

テロでも戦争でも、いじめや親や友人の理不尽な呪いや突然の怒りでも、それを先方の身になって想像し、言葉で表せるものにし、場合によってはそれを書き止めて、具体的なものとして定着させなければ、つらいだけです。だって、理解できないものをいつまでも持ち歩くのは、「呪い」にかけられた状態が続くようなものですから。

そういう意味では、この「テロと文学」で紹介されている9.11後のアメリカ小説は、すべからく「理解不能なものに形を与える」ことを使命としているように思えます。形を与えられることができれば、それはいつの日か私たちを「呪い」から解き放ってくれるかもしれないのです。それまで私たちは、いままでフィクションがあつかってきた理解不能なもの、たとえば恋愛、犯罪、歴史、私などに、あらたにテロというテーマが加わったという現実につきあっていくことになるのでしょうね、これからずっと。

 

18 働く女性に勇気と希望を、もしかしたら嫉妬と羨望を

 

一億総活躍とか女性の活用とかの政策がかまびすしいようですが、働く女性を本気で応援するのであれば、やはりアメリカを見習うことも大いにあるでしょう。(残念ながら、初めての女性大統領は生まれませんでしたが)

「日本の未来は明るい。というのも日本はまだ半分(男性)しか力を使っていないからだ。日本にはまだ残りの半分、女性の力がある」、と言ったのは経済学者の伊藤元重先生だったと思いますが、なんのまだまだ。その力を活かす実績にはアメリカに一日の長がありますでしょう。

 

「アメリカのめっちゃすごい女性たち」(町山智浩/マガジンハウス)

には、55人の、それこそトンデモな、すっごい女性が紹介されていて、読んでいてワクワクしてきます。そのうち私が知っていたのは、女優アンジェリーナ・ジョリーやジョディ・フォスター、テレビ司会者のオプラ・ウィンフリーなど数人しかいなくて、お恥ずかしいしだいでした。

イヤイヤさすがの豪傑(失礼!)ぞろい。

ヒラリーさんも、こういう土壌から生まれてきたんだということがよく分かりました。

本の帯に「あなたは誰から何を学ぶ?」とあるけれど、まことに彼女たち一人ひとりの個性的で才能あふれる生き方に学ぶところは多いでしょう。

マリッサ・メイヤーはグーグルの最初期メンバー。

グーグルマップ、Gメール、グーグルクロームなど重要なプロダクツを手掛け、ヤフーのCEOにヘッドハンティングされた。そのとき彼女は妊娠していたけれど、アメリカでは年齢、未婚既婚、子供の有無など関係なく、企業は能力だけで採用する。で、メイヤーはなにをやったかというと、長男を産んですぐヤフーの社内に託児所を設置、あわせて社員の産休を延長して、かわりに自宅勤務を禁止。なんだかすごい。

ヘレン・トーマスはジャーナリスト。

50年間にわたり、アイゼハワーからオバマまで歴代11人の大統領に記者席の最前列から質問してきた(テレビニュースでよく見かける、大統領がペンで記者を指名する光景ですね)。ところがイラク戦争のとき、その厳しい質問に手を焼いたブッシュ政権は彼女を最後列に移動させた。バカですねえ。その後オバマは「彼女の質問を受けたとき、本当に自分が大統領になったと実感したよ」と言った。いいですねえ。トランプ氏には、まちがってもこういう言葉は言えないでしょう。

 

こういうたぐいの話って、わが国ではあんまり聞きません。

そこで、55人の逸話(「銘々伝」とでも表現したいところです)を読んでの私の感想、というか、こういう人たちを産みだすには何が必要だろうかと考えてみました。

あたりまえですが、基本は、

. 他人の人種、国籍、年齢を問わない。もちろん容姿も。

2.トンデモない人、トッピな人、他人と異なっている人を許容する。

でも、この本を読んでさらに強く感じたのはやはりアメリカの気風で、新しいことや人と違うことをやる人を応援する人というのが必ずいるということです。そこにあるのは、逆境に立っている人を応援したり、その人はたまたま今は逆境にいるだけなのだから未来はわからないなどという、「人を見る目」のある種の楽観主義かもしれません。

翻って日本にそうした雰囲気はあるでしょうか?

同性どうしでも「自分と価値観の違う人」を受け入れない。「みんな」の意見に逆らう人を干す、足を引っ張る。突飛な意見や行動は許さない。ムラ社会の掟を守らせる。ちょっとでもスキャンダルを起こした人を、メディアも含めて寄ってたかって叩く、だから変わった人や異能の人は暮らしにくい。

すると、たぶんこれからも公共の場では、セクハラ発言をなくそうとか、保育所建設と保育士育成の予算を増やそうとか、女性管理職の比率を高めようとか、チマチマした政策論議が続くのだろうなあ。アメリカには、なんのかんのいってもドラスティックで創造的な仕組みをつくろうとする女性が現れるのだろうなあ。

皆様は、隣国のすごい女性たちの生き方を見てどう感じるでしょうか。

勇気と希望をもらったと思うか。はたまた嫉妬と羨望に陥るか。

 

19 剣豪小説からコミュニケーション論へ?

 

先日カフェのお客さんと話していたら、仕事におけるコミュニケーションが話題にのぼりました。そのときなぜかこの「柳生武芸帖」のことが頭に浮かび、

「剣の達人たちは、剣による、剣の、剣のためのコミュニケーションをしていたんじゃないか」などと言ってしまいました。唐突なことを言って戸惑わせてしまった、まことに申し訳ない。で、その、剣豪小説の頂点といえば、

「柳生武芸帖」(五味康祐/新潮社) に、とどめをさします。 

 

ときは三代将軍家光の時代、柳生に伝わる三巻の武芸帖をめぐって、敵味方、そしてよくわからない人も入り混じって争奪戦を繰り広げる。

柳生家当主の柳生宗矩は、表芸はもちろん柳生新陰流で将軍家指南役。しかし柳生の裏芸は忍者なので、その三男又十郎は「くノ一の術」なんか仕込まれたりする。忍者もでてくるし、幕閣から有力外様大名、そしてご存じ柳生十兵衛や宮本武蔵まで出てくるから、歴史小説としても面白い。その点から山田風太郎忍法帖と比較して論じるのも楽しそうですが、それはまた機会がありましたら。

ところで剣豪どうしの戦いとは、じつに実践的で理にかなったものだということを知ってました?

たとえば「遠近の位取り」、つまり間合いの取り方に長けた流派の相手に対したとき、彼我のまん中に脇差を放り投げて、その間合いを取りにくくするような機転と戦法。

またたとえば、宗矩が家光に教える場面では、新陰流「三学」という秘太刀が解説されるが、これまた「敵の刃に隠れる」「動く拳へ掌を打ち合わす心持」とか、(未経験者には)実感しにくいけど、なんだかすごい理屈とテク。

さらに、暗闇で大人数に囲まれたときは、刀の鯉口(こいくち)は切る(つまり刀を抜く準備をする)けれど、左親指と人差し指で鍔(つば)を押さえる心構え。なぜなら敵の一人が横合いから飛び入って佩刀を抜き取ることがあるからだという・・・。

実践を経験しないとこういう技術はうまれない。

また宗矩の高弟それぞれに銘々伝があって、その逸話もすごいのだが・・・えっと、なんの話でしたか。

 

そうそう、剣豪の実践的で理にかなった闘いは、剣でおこなわれるコミュニケーションだと言いたかったのでした。剣の腕が上がってくると、立ち合った瞬間に、こいつには敵わない、ということが分かる(そうです)。映画でもよく見ますよね。向かい合って剣をあわせたとたんに「・・・参りました」ってやつです。

なぜだ? なぜそうなる? もちろん達人でない私に分かるはずもないのですが、でもそれこそコミュニケーションの要所ではないかという気がしたのです。

柳生新陰流が本来、「戦わないで勝つ」を本旨としていたのはつまり、剣豪どうしの戦いは始める前から勝負がついているからだという深い認識によるものだとすると、新陰流とは、実戦を通じて相手の力量、すなわちコミュニケーションレベルの高さを見極める能力を高め、彼我の力の差を計り、そして勝負としての見切りの重要さを学び、そのスキルを磨いて一門の極意としていたと言えるのではないだろうか。

だからこそ、柳生宗矩は徳川幕府の中枢に入り込んで、天海僧正とか松平伊豆守に伍して大目付としても政治を司ることができた。それというのも、幕府の政治をうごかすときでも、いままで培ってきた、相手の力量を見極めて「勝つ」ための準備をしていたから。

すなわち武芸と政治を結ぶものが、剣の修行で培ったコミュニケーション能力だった!(という仮説を、私は立てたい)。少なくとも五味先生は、すぐれた剣豪はすぐれた政治家になれる、と言っているのです。

 

強い剣豪は相手をバッサリ切るだけ、という先入観をもってはいけません。

逆に、それに比べて宮本武蔵ときたらなんとも情けないのです。五味先生に言わせると、

「野生の武士宮本武蔵は、本当は晩年に至るもついに野生の儘(まま)の男だった。出世欲や煩悩を捨てきれず、剣禅一致などとまことしやかに行ない澄ます心境からは遠かった」

と、手ひどい。グサッ。

そりゃ武蔵は、剣の腕は強いんです。でも武蔵が「五輪の書」を書いた精神を、先生は、立ちきれぬ俗念と断じる。

「言挙げ(ことあげ/言葉で表現して考えを述べること)するのは、沈黙より常に次元の低い心境の所産である」と、バッサリ。

つまり武蔵は強かったけれど、自分の「強さ」を信じて頼るあまり、目の前の相手とのコミュニケーションの重要性への認知が低かった。それは彼の社会的能力が柳生宗矩よりはるかに劣っていたということだ。そして社会的能力の低いものは、武家社会の中でも孤立し、重用されなくなっていく。そんな彼だからこそ、「書」を書いて自分の考えをなんとか残そうとした。しかしそれは負け犬の遠吠えなのだ・・・ズバッ。

 

えーと、何の話でしたか。そう、剣豪コミュ(だんだん表現が省略されてくる)。

もちろん現代の仕事におけるコミュニケーション能力も、その人の仕事の専門性が高まれば高まるほど重要になってきます。つまり専門性のチョー高い、往年の剣豪たちが、それを証明しているはずなのです。だとしたら、私たちがビジネスで培うべき能力もおのずと明らかになっていくではありませんか。

ちなみに、私と立ち話したお客さんは理容学校に通う生徒さんで、就職内定も決まっています。おおっ、鋭い刃物をもって相手に対する専門家さんでしたね。

理容も美容も勝負ごとだ。ぜひその道の達人になっていただきたい。

 

20 ブックカフェオーナーの心の拠りどころ

 

「ここに置いてある本は全部読んだのですか?」とか「この本の内容を教えてもらえますか?」とか、厳しいお尋ねにさらされることの多いブックカフェオーナーにとって、心の救いになる本があります。

「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール/筑摩書房) が、それ。

 

なにせこんな調子ですから。

「ある本について的確に語ろうとするなら、ときによってはそれを全部は読んでいない方がいい。いや、その本を開いたことすらなくていい。むしろ読んでいては困ることも多い」

おお。じつはカフェに置いてある本は、ナナメ読みかつ飛ばし読みの本も多いので、読んでるけど内容忘れたとか、ぜんぜん理解できなかったとかの本も多く置いてあります。

ですので、「読んだのですか」と聞かれて「はい、読みました!」とキッパリ答えるのは、とてもやましい気がしていたのでした。だからますますもって、こんな題名の本は読まずにはいられないではありませんか。(なんか題名にうまく引っかかっちゃった気もするけど)

 

でも、なぜ、「読んでいない本」について語ったりできるのでしょう。

じつは、「きちんと読んでからでなきゃ、その本について論じちゃイカン!というのは、思い込みにすぎないんじゃないか」、というのがこの本の主旨。

書物との出会いは、人との出会いと同じ。著者は、じゃあそれならば、あなたは他人の全部をしっかり知ってからでないとその人のことを語りませんか、と疑問を呈するのです。

「<他者>は知っていると考える習慣を断ち切ることは−−この場合<他者>とは自分自身のことでもあるが−−書物についても、それを読んではいないにもかかわらず(中略)最重要の条件のひとつである。」

まず自分が知らないことを他者が知っている、とばかり考えないほうが良いということ。

つぎに、書物という言説を、私たち共通の対象とすることが困難であること。というのも、私たちは「内なるパラダイム」という、その人固有の現実受容のシステムを持っていて、それに従って本を解釈するが、それはあまりにも特殊で個別なものだから共有できない。

最後に、だからこそ本を評することは、まるで、知ることのできない他者(自分も含めた)を評するような不確かな行為だ。と、このように言うのです。

極論すれば、本を最初から最後まで読み、なおかつ完全に理解し、そのうえでそれを評することで本を介して他人とコミュニケーションをとるなんて、二重三重の意味で、できゃしねえよ、と。

 

さあ大変。

コトは、本に限らず人とのコミュニケーションの限界におよんできてしまいました。読書と、読んだ本を語るという体験と、人と出会ってコミュニケーションをとるという体験は、はたして著者のように同じ土俵で考えられるのでしょうか?

・・・その結論は保留にしましょう。こじつけに感じる部分もありますし。

ただしここでは、本をきちんと読んで論じることは他者(その本の筆者)に従属することになりかねない、という著者の意見を取りあえず聞いておきます。つまり筆者は、「本をきちんと読んで論じる」ということで、他者の「現実受容のシステム」を無理やり自分のものにしなきゃならないハメに陥る、それには気をつけろという注意喚起をされているのだと思うのです。

さらに著者は、そんなことをするよりも、本も他者(自分を含めて)も、大きく全体の見通しをもってザクッと読んだほうがいいときもあるのだ、と言います。そうすればタイトルやカバーにちょっと目をやるだけで、さまざまな印象やイメージがわき起こり、その本(人)は未知ではなくなるのだと。

そして、私たちが他人と共生したり、コミュニケーションを図ることができるのは、どうあっても「自己イメージ」に支配された空間でしかない(理解できないことが基本だ)のだ。いわばそこは「現実受容のシステム」どうしのぶつかり合いの場所だ。であれば本も、とどのつまり、学者さんのように精読して論評する必要もないのである、と。

だから既知の部分がちょっとでもできれば、語っちゃっていいのであると。

 

どうでしょう。これってもしかして、ふだん私たちが他人に対して無意識にいつもやっていることかもしれませんねえ。見た目で判断する。全体の印象でザクッとつかむ。もちろん、細かいところまで精査しない。それでその人について語っちゃう。

結構やってますよね、やっぱり。ほお、本についてもそれでよかったんだ。

そういうことを気づかせてくれたうえで、著者は、「自分に自信を持て。なぜならわれわれ自身がそこに蓄積されてきた書物の総体なのだから」というメッセージを発します。

そこで結論。

当ブックカフェに置いてある本は、個々にその内容を説明したり論評することはいたしません。でもぜひにと請われれば、ガッツリ語っちゃいます。誤読、誤嚥、誤診、誤爆あります。はいモチロン、読んでない本あります。お客様には、これら書物の総体を店主と感じでいただき、ゆっくりとお過ごしいただけますようお願いいたします。(店主敬白)

 

21 論理は五感によって成り立つ!

 

私は、論理的にお話ができる人を尊敬しています。

というのも、私はどうしても論理的に書けないし話せないからです。このブログ文章もあまり論理的ではありません。ですから「論理的である」ということに、とても憧れをおぼえます。総じて私たちは、と一般化してしまいますが(すでに論理的でない)、「論理的である」ということに負い目を感じていると思われます。

それに対して頭の良い人は、スッキリ美しい論理を組み立てることに長けているように思えます。たとえば仕事のできるビジネスパーソンは、「何々は何々である、なぜならばこうこうの理由があるからだ」とか、「こうすればこうなる、したがって我々の進む方向はこちらだ」などと、なめらかな論理を展開することが多いものです。

ところが私は時々、そうした論理を聞いていて、それはスッキリ美しいのだけど、なんとなく気持ちを逆なでさせられたと感じることがあります。ついでに、頭の良い人に対する反発に似た忌避感もおぼえたりする。ま、ひがめとやつあたりなんですけどね。

 

たとえば。

独裁国家の隣国が軍備を拡張している。地政学的にわが国が狙われている。したがってわが国は抑止力を持たなければならない。そのためには先端科学を活かして新たな兵器を開発すべきだ。したがって情報漏えいを防がなければならない。そのさい国を守るための秘密情報は厳重に守るべきだ。もちろんそのために法律をつくるし、官僚も政治家も、隠す情報は隠して当然だ。

みたいな論理。

この論理のどこに、私の気持ちを逆なでする原因があるのでしょうか。

もしかしたら私は、その考え方じたいが良いとか悪いとかの前に、その考え方しかありえないという、なんというか「一直線の道」を力づくで押しつけられるような違和感を覚えているのかもしれません。論理が展開していくつなぎ目のところで、イヤ、ほかの道すじもあるんじゃないか、というひそかな疑念がわきあがり、それが私を居心地悪くさせているのかもしれない。「もしかしてそれって、何かひとつの価値観だけに『居着い』てるんじゃない?」、そう思えてしまうのです。

 

ところがこの問題を、もうちょっと根本的に「頭で考える論理」そのものの性質なのではないか、として疑問を投げかけるのが、

「自分の頭と身体で考える」(養老孟司/甲野善紀 PHP文庫) でした。

 

養老先生が言うには、そもそも、

「言葉として『説明』という形をとった途端に、単線処理になる」のが人間のさがである。

そして、それが言葉というものの避けられない性質なのだという自覚に欠けると、独断的だったり一面的だったりする情報処理によるアウトプット(つまり自分には理論的で気持ちいいが、他人にはそうでなく感じられる構造と結論)をしてしまう。

「そういう意味では、人間ってものすごく単純なのです」。

そもそも論理性とは、モノゴトのある側面のみについて言えることで、そうすると、別の側面から見た論理性もありうることになる。つまり「論理的」である「あり方」は、モノゴトをどの側面から見るかによって異なる。これが視点の違い。視点が違えば、単線処理の方角が違ってくる。風が吹いても、桶屋は儲からないことのほうが多いだろうし。

そして社会のデキゴトは、人の数ほど同時進行で進行しているのだから、それを記述する言葉はない。それはありえない。というのも、単線処理をいくらたくさん処理しても、それぞれの関連は見えないから。つまり人間には複数の情報の同時かつ並列かつ統合処理はできない。古来、歴史家や政治家や哲学者がそれに挑戦してきたけど、今後も成功の見込みはない。(と、養老先生はおっしゃられているようです)

 

これには困りました。

そうすると、仮に、同じ認識から出発したとしても、だれもが同じ結論には行きつくというわけではなく、だれもが同じくらいきれいな道すじで「別の場所」に行きつきかねないわけです。というか、論理的な必然として同時並行的に別の場所に行きついてしまう。

これでは、論理性とは人と人との理解を促進し、コミュニケーションを促進する道具とは必ずしも言えなくなってしまいます。

するとどうなる? 

論理では話がかみ合わず、客観的で冷静な議論はならず、人はしだいに感情的になっていき、議論が空中分解する、、、まるでどこかの国会のようですね。(いや、どこかの国会では、そもそも「論理的」な議論などしていないのだ、というご批判はおいておくとして)ではこの「だれもが論理的であるがゆえのディスコミュニケーション」状態を逃れるには、どうしたらいいのか?

ヒントは「頭だけで考えるな!」です。

「身体でも考えろ!」「個の身体感覚を信じろ」、フムフム。

たとえば甲野善紀さんは、「丹田に支点を置くと、全身がうまく協調的に動いてくれる」と言いますが、この「全身」とは、論理をつかさどる頭だけでない五感すべてのことです。

すると、他人に説得的に話せる人はきっと、論理の「一貫性」とか、「正しさ」「美しさ」に頼って自説を展開しているのではなく、まずからだ感覚を信じ、それで「頭の論理」を下支えし、それをまた、他人の身体感覚に合わせるように提供できているから説得力があるのだ、ということになるのでしょう。

 

そしてそういう人のお話は、もうすでにただの「論理」ではなく、相手が、「それは私(の頭と身体にとって)心地よい話だ」と感じられる可能性を高めることに成功しているのかもしれません。なぜなら、(私という)個人の心地よさに培われた(私という)個人のことばこそが、どこかから借りてきたことばと違って(あなたという)個人の身体にスッと入ってきて、できあいのことばによる美しいだけの論理にはできない(あなたという)個人の心地よさを産みだすだろうからです。

きっとそれが「共感」と呼ばれる現象かもしれませんね。

結論。「だからさ、論理は五感によって成り立つ!」。これは論理的?

 

22 自分のストーリーの著者でいられるか?

 

年老いた親の入院や介護で世話をやいていると、これって会社勤めをしていたら、まずできなかっただろうな、と感じます。

実際の看護や介護は専門家の方にお任せするとしても、家族はあれやこれやに気を配らなければなりません。手間と時間がかかる。気をつかう。なにかあるとすぐ駆けつけなければならない。これを時間にしばられる会社勤めの仕事と両立させるのは無理だったでしょうね。ご経験者にはあたりまえの話でしょうけど。

もうひとつ感じました。

親に対して、こっちはこんなに考えてこんなにやってあげてんだから、なぜ言うことを聞かないんだっ、と恩着せがましく思ってしまうこと。これだけ手間と時間をかけて「やってるんだから」、そんなにわがまま言うなよ、医師と家族の言うこと聞けよ、みたいな気持ちがドンドンふくらんでくる。そして上から目線の「ダメじゃん」的なもの言いがふえていく。これはちょっと反省ですね。そして反省はしつつも、これから看取りまでこの調子でいくだろうかなどと、ついつい先走って考えてしまうことも多いのです。

そこで、

「死すべき定め」(アトゥール・ガワンデ/みすず書房)

には、本人や家族にとって、人の尊厳ある最後とはどういうものかについての現場からのふか〜い考察があり、興味深く読みました。

 

著者はインド系アメリカ人の外科医。

この本には、ビックリするような新しい知見があるわけではありません。日本の医療・看護関係者にとっては、いや、日本のほうが制度として進んでいると思う方も多いことでしょう。そこには彼我の国民皆保険の歴史、ホスピスを含めた福祉施設の在り方、医療費負担の問題、人権や個人主義に対する認識の違いなどもあるでしょう。

それはともかく、著者の考察が感慨深く受け入れられるのは、ひとつには、外科医である著者が、「人を治療する」医療の限界に気づいていく過程が書かれていることがあります。もうひとつは、患者だけでなく家族も含めた「治療や介護を受ける側」の意思決定や自律への洞察があることです。

外科医である著者は、はじめのうちは、「治せるようなはっきりした問題を持っているのでなければ、医師は興味を示さない」という立ち位置だった。つまり「患者」を診るのではなく、「病気」を診るのが医者なのだ、という考えですね。

それがだんだん患者と、さらに家族の生活の質をどう維持するか、を考えるようになっていきます。患者と家族のQOL(生活の質)を考えるようになったのですね。

そして治療する側も家族も、そのほとんどが患者の「安全」を第一に考えてしまうけれど、それが患者本人の自律や自尊心を奪っているのではないかという疑問を持つようになり、最後には、次のような洞察にたどり着きます。

「今を犠牲にして未来の時間を稼ごうとするより、今日を最善にすることをめざして生きることが、好結果をもたらす」。

 

そうだよなあ。頭では私たちもわかっているんだけどなあ。小林麻央さん(市川海老蔵さんの亡くなった奥さん)は偉かった。

私たちは、いざとなると患者(私の場合は介護・ケアすべき両親)本人と自分の「安全」と「安心」、つまりより効率的で効果的な、そしてあとから誰にも後ろ指さされない治療がされることを優先してしまう。そしてそれを実現する「計画」を立て、患者を「説得」し、押しつけてしまう。家族だからこそつい、「これはあなたのためだから!」という言葉を使ってしまい、あれ、これってどこかで聞いたことがあるな、と思い返してみると、なんと子供のころ親から言われていた言葉ですわ。

そして子どものころの私は、この「あなたのためだから」という説得ほど嫌いなものはなかったことを思い出します。まるで親から、逃れることのできない「呪い」をかけられているように感じていた。それを今になって、逆に自分がおこなっているのです。

 

ところで著者は、自律を保つとは、すべて自力でおこなうことではないと言います。

「人生の状況をコントロールすることは不可能であっても、自分の人生の著者(自分自身のストーリーの著者)であるように、状況にどう向き合うかをコントロールすることが大事だ」と。

これも分かるのだけど、難しいことですなあ。

自分の親に限らず多くの高齢者(自分もいずれそうなる)は、そのようには考えない。その場その場でやりたいことが変わり、嫌なこと煩わしいことが増え、他人に面倒みられるのが嫌になったりする。あるいは認知が進み、面倒をみてくれる医師や看護師、ケアマネや施設に文句をつけることも多くなる。またあるいは、死の床についているような重篤な患者は、その病の専門家である「医者先生」にお任せしよう、それしかしょうがないのだ、とあきらめる。

そんな状況を脱して、患者として自律的に自分のストーリーの著者になるというのは、そうとう知力・体力のいることでしょう。とくに私たち日本人にとって、自分の状態を自律、尊厳、権利といった意識とつなげて考え、自己主張することが苦手です。多くの人が指摘するように、「自立した個人」という意識が弱いのでしょうね、自分も含めてそう感じます。そして患者は、「親」の立場として子どもや孫のことを考え、たとえば遺産相続などについて思いをめぐらし、自分のことよりも子どもや孫の「安心・安全(あなたのためだから!)」を図ろうとしてしまう。

するとたぶん人は、「患者」になるまでの人生で、どのように自律しようとしてきたかが問われてしまうのかもしれません。それまでの長い準備と克己心の育成がなければ、「自分の人生の著者」の地位をつかむことは、なかなかできないことです。

 

ではそういう私たちは、「自分の一貫性を守る闘い」にどのように参加できるのか? 

自分が「患者」になった状況も想像してみて、ちょっと唐突ですが、私は、幸田文の随筆中にでてくるおばあさんの言葉を思い出しました。

「生きているうちに死ぬのは嫌だ!」

いいでしょ。なんか、自分が主人公として戦っている感があります。私もこう言えればいいのかもしれない。

わが家の戦いはこれからも続くのでしょうね。安全を求める家族と、自律と尊厳を求める本人(そんな大層な言葉では考えないでしょうけど)との、せめぎあい。これが、「親と自分のストーリーと目標は何か?」と問うことで、なにかが変わるといいのですが。

 

23 言葉の豊かさに惚れ直す

 

カフェのお客さんと話しているとき、自分のこの表現や言いまわしって、もうちょっとなんとかうまくならないものかなあ、と思うことが多くあります。反省ばかりです。

語彙が少ないのはもちろんですが、そのときの気持ちにピタッとあてはまる言葉が思いつかず、あとになって後悔することばかりです。

そんなとき、

幸田文(あや)「台所のおと」(講談社)

の文章を読むと、日本語の豊かさや使われ方の心地良さ、そしてなによりそこに含まれる情感に、ひどく心を動かされて驚くことになります。

 

短編集のうち、表題の物語は戦後すぐの下町の情景。

治りがたい病を得た料理人と、その女房が主人公です。旦那から料理の手ほどきを受けてきた女房は、旦那が横になっている部屋のとなりの台所で、近所から注文をうけて仕出しをしている。旦那は、料理する女房のその包丁さばきや水の出し方や野菜の洗い方の「おと」から、彼女がなにをどう作っているかを察している。なにを作っているかだけでなく、女房の心持ちまで察している。

物語としてなにごとか大きい出来事が起きるわけではありません。ただ、治らない病の夫と、それを支える女房の、日々の暮らしが淡々と書かれているだけ。これがまた、いい。

 

さて、幸田文さんはご存じのとおり文豪幸田露伴の娘。「流れる」や「おとうと」という名作小説もあって、それはそれは素晴らしいものですが、短編や随筆もすばらしい。そしてなにより、読み手のからだの感覚にピッタリはまる表現が多くて嬉しくなるのです。

たとえば、

「耳がはずされる」 うまく聞き取れないこと。

「葉ものごしらえ」 野菜ものの料理

「人の心ゆかせ」  心意気とちょっとした気配り

「音をぬすむ」   不快な音がしないよう気をつける

「包丁の音が立つ」 包丁使いの音が冴える

「持ち重りがする」 たいへんになる、やっかいになる

解釈は私のものですが、どうでしょうか。そのほかにも、

「心がひそまる」「使い荒らす」「品がすれ」「ひと箒なでる」「間拍子のよさ」「眼をつなぎながら」などなど・・・。

難しい用語ではないので、たぶん辞書を引かなくても、なんとなく味わえる表現ばかりでしょう。そしてそれぞれの言葉に、生活から汲み上げられた「体感」があって心地良い。ひと昔前までは、人はこんな言い方をして、夫婦はこんな会話をしていたのかなあ。下町の人づきあいも、こんなだったのかなあ。

なんというか等身大の生活(あたりまえですが)と、それに見合った言葉づかいと会話。頭と身体と言葉が、ピッタリと寄り添うようになって、日々の生活がおくられる。ことばと感情と生活がズレることがない。

 

そうなると、病も災難も色恋も喧嘩も、生も死も、なんだかとても自然なものに感じられてくる。やっかいなことにも、豊かで優しいことばによってほのかな情感が生まれ、それが人によって育まれ、それで人が生かされ、生きるなかでまた豊かなことばが生まれてくる。こういう種類の心地良さ、おじさんには、たまらんですなあ。

だから、言葉の選び方や場合に応じた言い回しというのは、私たちが生活を豊かなものにしようと決めてそれを実現するためにはたいそう大事なものなのに、ところがそれは、頭でっかちに考えたり、自然な言葉にたいして無自覚な言動をくりかえす私のような人間にとって、そこに気づいて気をつけていくのはとても難しいことなんですよねえ、という話でした。

 

 

24 生きている信仰と、生かされていく教会との出会い

 

以前、長崎・五島の教会を巡ったことがあります。

そこには野崎島の旧野首教会、中通島の頭ケ島天主堂、黒島の天主堂などなど、小さくてかわいく、個性あふれる教会が多く残っていました。それらはすべて明治になってから、キリスト信徒である住民が、新たにやってきた神父とともに、お金と力を出し合って建てた、自分たちだけの教会です。

なかでも「生きている」教会は、とりわけ味わい深い、よいものです。

私たちはだれでも、教会に入った瞬間にそれを感じます(お寺や神社もそうですが)。人が集まってミサをおこなっている、たとえ人がいなくてもその気配が漂う、そのなかにたしかに人と信仰が生きていると感じられる、それが生きている教会です。

これはヨーロッパの教会でも同じで、千年も昔のロマネスク教会であっても、生きている教会にはもちろんその匂いがあるし、建物からジワジワと染み出てくる蓄積された「信仰」の気がある。逆にきらびやかで美しいゴシック教会でも、「なんとか遺産」とかいって観光客しかいない教会は寂しいものです。

 

星野博美「みんな彗星を見ていた〜私的キリシタン探訪記」(文芸春秋)

は、日本にキリスト教が入ってきた時代がテーマ。

400年前のこと、そのころキリスト教は戦況が活発で、日本人にとっては新鮮で、信仰も教会(天主堂)もバリバリ生きていた。そのとき、どんな人がどんな思いで日本に来て、それを人々はどう受け入れ、なぜ殉教やら棄教やらがあり、隠れキリシタンとなって、のちに明治に発見(!)されたのか。この本は研究書ではなく、そのルポルタージュです。

ちょっと話がずれるかもしれませんが、筆者は、なにかを調べてルポを書くとき「外堀を埋める」作業をおこなうといいます。テーマに関連した情報や、そのテーマの中で自分に近いものの発掘や深堀り、という意味でしょうか。

この本ではそれは、当時ポルトガルから持ち込まれたリュート(ギターの原型)であったりします。外堀を埋める作業といっても、たんに調べたり聞いたりするだけではないということが、この筆者の強みなのだと思いましたね。自分で実際にリュートを習ったりしています。そしてその「体験」のおかげで、もしかしたら天正使節団が帰国後に秀吉に聞かせたかもしれないとされる、ジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ」という曲に出会ったりしています。

そしてその外堀にはとうぜん、戦国時代の日本の国情と、バロック時代にあるヨーロッパのそれとの比較もあります。

さらにまたその外堀は、当時イエズス会士を輩出したスペインのバスク地方についてだったりもします。とりわけ、天正使節団が会った当時の権力者ローマ教皇とカトリック教会の内情は、著者にとっても埋めなければならない大きな外堀となっていくのでした。

なにが言いたいかというと、もしかしたらこれが、すぐれたルポルタージュの大きな特徴かもしれないということです。つまり、われわれ読者は、筆者が設定した外堀とその埋め方によって、ライターへの信頼を深めて、身をゆだねることがあるのです。じつはその外堀(たち)が伏線となり、しだいにお互いがつながっていく。書く側も、読者にとって、そのつながりを追うことも本を読む楽しみのひとつだと分かっているから。こういうことの積み重ねによって、ルポルタージュというノンフィクションが、頭と身体で調査しあげた事実によって、また、それらを新しい視点でつなぎあわせることで、現実の再構成をするものだということが深く納得されるわけです。と、おもわずルポルタージュの書き方読み方のことになってしまいました。

 

ところで、信仰とは個人の心の中の、きわめて個人的な問題であることは間違いありません。祈りもその人だけのものです。だれもそれに対して文句をつけたり、ちょっかい出したりはできません。ただしある面では、信仰とは、人と人との出会いとつながりであるとも言えます。あるいはまた、歴史の積み重ねであるとも言える。

なぜそう言えるのか。それを考えさせてくれるのがこの本なのです。

それはたぶん、こんな風な機微によるものではないでしょうか。

あることに興味をもって調べるということは、それがなんとなく自分に関係していると思うからだ。教会、リュート、戦国時代、キリシタン、宣教師、天正使節団、スペイン、バスク、こうならべてみるとあたりまえのようなつながりだけど、そこにルポライター/文筆家個人としての「私」の大きなひっかかりがある。結局、それらが自分にどう関係があるかは分からないかもしれないけど、たとえば400年の時をへだてて、訪問したバスクの村のおばあちゃんたちとつながるものが、たしかにあった。としたらそれが、神とか、信仰とか、大げさなものではないけれど、筆者にとっては、たんなる関心や興味を超えて、「ルポ」という名を借りた「祈り」、あるいは「巡礼」のようなものだったかもしれません。そしてこのルポが「祈り」であるなら、それによって私には、「生きている」教会とは、つねにそこでミサがおこなわれているということだけではなく、きっと今でも誰かや何かとのつながりによって「生かされている」教会なのではないかと思われるのです。

 

生かされている教会とそうでない教会がある。

生かされる出会いと、そうでない出会いがあるように。

そして教会は、「つながった」人々の記憶によっても生かされる。

長崎・五島の教会やバスクの教会、フランスの小さなロマネスクの教会、人気の絶えたシトー派の修道院は、そのように生かされていて、そしてこれからも生きていく。けっして世界遺産への登録によってではなく。

 

 

25 カフェでのお客さんとの距離 〜マスターのお作法

 

カフェでお客さんと話すとき、オーナーの立ち位置にはいくつかの違いがございますのですね。

・カウンターの中から受け答えする。

 これはおもに注文をいただいたり、なにか尋ねられたりという、お仕事直結のとき。

・会計のときレジ前でお話をする(目の前)。

 これは、顔なじみの方と軽く短いお話をするとき。

・カウンターとフロアの境目からお話をする(34メートル)。

 これは、ほかのお客さんに迷惑かからない範囲で、おなじみ様とのおしゃべり。

・お客さんのいるテーブルに近寄って(1メートル)する、お話。

 けっこうじっくり、深めの話をするとき。

 

いずれも私は立ってお話するわけですが、ときどき、あれ、この位置で話していいのかな、と思うことがあります。近すぎないか? 遠すぎないか? 声の大きさはどうだろうか。

話の内容は、ほかのお客さんにとって耳障りではないか? お客さんともっと親密になりたいけれど、負担をかけていないか? 人との親密な距離は手の届く距離、だいたい60センチと聞いたことがあるが、きちんと使い分けているだろうか? などなど。

 

「知的な距離感」(前田知洋(ともひろ)/かんき出版)

は、そのあたりの疑念をはらすヒントになる本でした。

筆者は、クロースアップ・マジック(トランプなどの手品を、観客の目の前のテーブルで披露する)の第一人者。ときおりテレビで拝見するけど、たたずまいも、そして観客との受け答えも洗練されている方です。

たとえば、なぜマジシャンはこれから使うトランプを、観客に調べさせるのか。

「なにげなくマジシャンが差し出したトランプを調べるという行為により、マジシャンと観客は手を伸ばせば届く距離になる」、これが「プライベートエリア」に入ることだといいます。こうして、まず観客との距離をここまで縮めることが、マジック成功のひとつの要因だとするのです。

へえー、私、逆だと思ってました。

あんまり観客に近づかれると、タネがバレちゃう確率が高まると思ってた。ところがプロは、そうではなく、まず親密な距離感をつくる、それが「お客さんといっしょにマジックを成立させる」ための連帯感を生む、という考えなのですね。すごいっ。

マジックを成り立たせるには、観客からマジシャンへの信頼が大事。それは、「だますマジシャン/だまされまいとする観客」という関係から、「いっしょにマジックを楽しむ観客とマジシャン」という「場」をつくることなのだと。この考え方、方法すごいでしょ。

こうしてマジシャンは、自分のまわりに「プライベートエリア」を作る。そのうえさらに各種の小物を使って、そのエリアを補強したり、逆に、ここからは入らないでねという境界線(結界ですね)も、気づかれないようにさりげなくつくる。その中でこそ、マジックを成立させるトリックが成立しやすくなる、というのです。

 

やっぱり距離感が重要だったんだ。あ、それってやはり、剣豪と同じじゃないですか。

「人は会話の内容に関連して、自分のプライベートエリアを狭くしたり広くしたりする」。それって茶室での主人と客の関係と同じじゃないですか。カフェでも同じじゃないですか。

なるほど、マジックをテレビカメラを通してみる機会しかない私にとっても、マジシャンのこうしたふるまいは、だからとても興味がもてるのですね。というか、距離感をうまくとって、観客を話に引き込み、気持ちよくマジックを成立させる姿勢とか、連帯感を生むたたずまいというものが、とても参考になります。

カフェのマスターは、お客さんに落ちついてすごせる場と時間を提供するのがお仕事。

ですから、お客さんとの距離のとり方に気を使わなければなりません。

注文をとるとき、飲み物を出すとき、お会計のときなどは、お客さんのプライべート・エリアに入るときがあります。それは、たとえお客さんと仲良くなってお友達として話をするときも同じ。

したがってその「エリア」の外から話すときは、お天気の話とかニュースの話題など、差しさわりのない話になるし、逆に立ち入った話や親密な話をするときはエリアの中に入る。そうして、いっしょに「過ごしやすい、気やすい場所をつくる」仲間になっていただく。距離感を考えたふるまいが「場」の結構にも大きな影響を与えるのだとしたら、そこはきちんと意識しないといけませんね。  

とくにカフェではほかにもお客さんがいるときが多いので、「エリア」の意識をいつも持っていなければなりません。それがお客さんとお話するカフェマスターの「場づくりトリック」の秘訣のようです。

 

26 ""を考える

 

メキシコとの国境に万里の長城を築く、と公約をかかげた候補がアメリカの新しい大統領になりました。

移民難民の拒否と排除、危険視される人物の追放、すべては自分たちの身を守るための措置だそうです。まるでアメリカ全部をゲイテッド・コミュニティにしようとするかのような政策ですが、結果としてこれに賛同する人が多かったのでした。

ということになると、こんな本をご紹介したくなってしまいます。

「ここのなかの何処かへ」(トリン・T・ミンハ/平凡社)

 

著者はベトナム系アメリカ人で、思想家、映像作家。

境界的なできごと(壁、越境、移住、亡命、難民など)を独自の観点で考察しているのですが、ここでは本の感想より、この本の中で「壁」について書かれている部分を抜き書きしておきたいと思います。

−近隣同士を分けるコンクリートの壁の建設は、安全を守るというより、むしろ安全の崩壊を可視化させる兆候のようなもの

−境界に住む人たちが痛切な調子で述べているように、人を排除するための高い壁は、同時に人を招き入れるものともなる。

−あらゆる問題が激化しがちなのは、他者としての異国人とのふれあいに関わる事柄なのだ。

−人々は、防護壁としての壁じたいに自らの地平を妨げられることで、欲望や恐れをあおられる結果、かなたを見るかわりに、ものとし

 ての壁を、それが実質的に目立たなくなる時点まで凝視する よう迫られる。

−国境の壁は、自分たちの国が恐ろしい場所だということを、世界中に示すことになるだろう。

 

いかがでしょうか。

せっかくベルリンの壁がなくなったと思ったら、国と民族と宗教の壁がたくさん生まれ、いままた新しい壁ができようとしています。もちろん壁というのは、物理的なものばかりではありません。自分とは異質なものにたいしても、差別、排除、威嚇、検閲などというかたちで壁をつくるのが私たちです。アメリカの新大統領は、私たちの(私はアメリカ国民じゃないけど)そんな性向に訴えかけているようにみえます。どうだい、君たちだって自分の中に壁を持ってるだろう、じゃ、国境の壁とどう違うというのだ? と。

こんな「壁」と、「壁」をつくろうとする人に対して、では、言葉に頼らず、ましてやテロや暴力に頼ることなく、私たちはどう立ち向かえるのか?

 

この本には、そのためのいくつかのヒントや考え方も示されています。

=不毛で仰々しい壁を「(壁画を描いて)芸術のオアシス」へと変える。

=あなたが閉鎖すると、私たちは動き回る。あなたが建てると、私たちは掘る。

=民主主義とは、毎日の闘いと絶え間のない越境行為であり続ける。

=堅固なものなどなにもない。経済不況がさらに続くにつれて、一見堅固と思われていた諸々のもの(壁)が、突如として脆いもので

あることが判明するのだ。

=(ベンヤミンによる19世紀末のパリの描写では)パリという街が生き生きしているのは、通りで人々が繰り広げる生の躍動感からきて

いる。・・・どの通行人、訪問者、移動する人間も、通路に「住んでいる」。・・・逆説的にその外部が家々の「あいだを歩く人々」のために設定されているようにもみえる場所。

=境界に生きるということは、位置を定めることと位置を喪失することのあいだに引かれる、危い線上を絶えず踏みしめていくことを意味している。

いちいち心に沁みいります。 

私は、村上春樹さんの「壁と卵」の比喩を使って言うなら、自分に意気地がなくて壁にも卵にもなりたくないものですから、スキマをズルして通り抜ける越境者(路上に暮らす犬のようなものでも可)になりたい気がします。それが「危い線上を行く」ことになっても、しょうがない。しかし世界中の多くの難民のことを思うと、いまは、かるがるしく「越境」なんて言葉は使えませんけれど。

 

 

27 私たちのおやじのおやじのおやじの時代の、テロと主義

 

世界の各地でテロが続いています。

犠牲者のことを考えるともちろんテロには体が震えるような怒りを覚えるし、自爆テロを起こす人への想像もなかなかおよびません

が、不思議なことに、私にも想像できるテロというのがあったりします。それは大正から昭和にかけて行われた、日本国内のテロです。

それはとりわけ、無産主義者・アナキストと呼ばれた人たちによるテロで、政府要人、経済界要人、そして皇族までも標的にしていました。

誤解をおそれずに言うと、それらはその時代に苦しい生き方を強いられた庶民と、それを見るに見かねた知識階級のやむにやまれぬ行動に思えて、今からみてもなんだか「ひとごと」では済まないような気にさせられるのです。

 

いかがでしょう、つまり、なんというか、テロに「共感」してしまうことがあったりする。

「われは知る テロリストの かなしき心を

  言葉とおこなひとを分かちがたき ただ一つの心を」

と歌った石川啄木も、同じ思いだったのかもしれません。つまり、その時代のテロリストとは、悲惨な生活に陥っている人たちに強く一体感を持ち、共に苦しむという「かなしき心」を持つことを選択し、それゆえ主張として「言葉と行ない」を分けることができない 「真面目にして熱心なる人」だったのではなかろうかと。

そんな人たちを生んだ時代のことをもう少し理解したいと思って、

「黒旗水滸伝〜大正地獄篇」(竹中労/かわぐちかいじ 皓星社)

全四巻を読んでみましたね。

 

まずお断りしておかなければならないのは、この本は決して読みやすいものではないことです。上段の、かわぐちかいじの漫画と、

下段の竹中の文章がリンクしていないし、物語的な筋も追いにくいし。

それからもうひとつの難点として、この本を読むと、私の関心はどうしても「大杉栄」という、きわめて個性的な人物にばかりいって

しまって、テロがどうだ、無政府主義とはなんだ、ということから離れてしまうこともあります。

じつにそうなんです。

大正12年の関東大震災で、伊藤野枝とともに殺された「アナキスト」大杉栄ほど、興味ぶかい人はいない。で、この大杉は、自身が「テロリスト」ではない。

むかし教科書で習ったように、明治の末に「大逆事件」があって、幸徳秋水らが処刑され、そのあとの大正時代は、いわば大杉の言動が、「真面目で熱心」なる若者におおきな影響を与えていた。ところが、それが具体的にどんな「思想」にもとづいていたのかは、あまり、というかほとんど教科書にはない(あたりまえですけど)。

 

では大杉のどんな言動が、「テロリストのかなしき心」に火をつけたのか。それは、

「反逆と破壊との中にのみ、至上の美を僕は見る。征服の事実がその頂上に達した今日においては、諧調はもはや美ではない。美は ただ乱調にある。今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである」

「おのれの運命を、おのれ自身の感情で決定したいのである。労働運動とは労働者の自己獲得の運動ある、人間の運動である」、こんな 言葉です。

つまり、最下層にいる人たちが自立し、自己を獲得するにはどうしたらいいか。それを大杉はいちばんに考え、言葉にしていたので

す。大杉は、貧困に沈み最下層にいる人たちにもっとも強く一体感を持って、共に共に苦しむことを選択した人だったのではないか。けっして○○主義とか、なにかの思想にこだわっていたわけでもない。だからこそその主張は純粋に、多くの青年に影響を与えたのでしょう。

また、行動のしかたもひとつしかないと頑なに考えていたわけでもない(筆者竹中労はこのへんを重視して、当時の右翼である頭山満や杉山茂丸、北一輝らとの共通項を指摘している)。

ときは政治とか資本制といった、ある「システム」の過度期である大正時代です。そこで変革を起こすためには、まずは人間の意識の解放が必要だ。暴力やテロではない。そうした考えを、大杉は言論と行動によってあらわした。最下層にいる若者たちは、そうした運動の先頭にいる大杉に感化され続けた。

 

きっと、こういう社会的影響力のある人を「リーダー」と呼ぶのでしょうね。その影響を正面から受けとめてしまった若者がテロに走った。だから革命やテロの原因・元凶として、権力(憲兵隊の甘粕大尉。じっさいには直接手を下したわけではなさそうですが)に抹殺されることになります。

ところで、時代の閉塞感とか収入格差、あらたな下層階級の出現、地方の衰弱や世界秩序の崩壊、地震などの大災害、当時(われわれのおやじのおやじのおやじの時代)のこうした状況を並べてみると、いまの状況は100年前に似ているのではないでしょうか?

杞憂かな。杞憂ならいいのだけれど。

 

 

 

 

 

28 質問するチカラとテクニックの奥深さ

 

歳を重ねてくると、言いたいことが溜まってきて、ついつい自分のことや考えばかりしゃべってしまうようになりますね。このブログ の文章も、だんだん長くなっています。

カフェでお客さんと話すときは、とくに気をつけなければいけません。なにせ相手はお客さんなのですから、その話をさえぎって「自分はこうだああだ」などとしゃべるのは、カフェマスターとして失格でございますね。

ところで、会話では質問することが大事、とよく言われます。

自分のことをベラベラ言うより、きちんと相手に質問したほうが、会話もスムーズに運ぶし、お互いの理解も深まるというわけです。とくに相互理解が必要な時や、テーマを持った議論のときにはなるべく質問を相手になげかけてみましょう、といわれます。本屋さんで「質問力」という題名の本がいろいろ並んでいるのも、コミュニケーションにとって質問がいかに大事かを表していますね。

 

ところで、私が「質問力」でまっさきに思いおこすのは、コミュニケーション系やビジネス系の本ではなく、じつはロス・マクドナルドの作品に登場する主人公、リュウ・アーチャーという私立探偵なのでした。

「さむけ」「ウィーチャリー家の女」「象牙色の嘲笑」など

(ロス・マクドナルド/ハヤカワ文庫)

舞台はだいたい、196070年代のアメリカ。事件の多くは家庭における悲劇。

ここで探偵リュウ・アーチャーは、まるで精神分析医のように「細かい質問をしつように続けて、相手の内部にひそむ犯罪の因子を掘り起こす」(訳者小笠原豊樹)。つまり、人が隠そうとしていることを質問によって明るみに出す、それが彼の探偵ビジネスなのです。

そう、彼は事件を解明する「質問者」。

よくみると質問って奥が深いんですよね。「質問者」の質問も、テクニック満載です。

たとえば、「あなたはアレックスが好きなんでしょう?」「アレックスがまたあなたを傷つけたんですか?」「じゃあまたよりが戻ったんですね?」「おびえているというのは、ご主人に対して?」。

こんな単純なクローズドクエスチョン(イエスかノーかでこたえられる質問)のなかにも、「また」「じゃあ」の使い方とか、ちょっとした仕掛けがあります。

「ご主人への伝言はそれだけですか?」「ドリーは何か言いませんでしたか?」「あなたにはどう話したんですか、自分の過去を?」。

こうしたオープンクエスチョンにも、前後の文脈に意味がひそんでいます。

「話してください」「その込み入った事情とやらを聴かせてください」「どうしてハガティ教授はそんなことを知っていたんですか?」「あなたの情報源は?」「それはあなたの方がよくご存じだと思ったんですがね?」

「だれかに脅迫される理由があるんですか?」「ただの空想じゃないですか?」「それはどういう意味?」「そんなに怖い?」。

これらは確認の質問であり、同時に誘導、ゆさぶり、やさしい恫喝、なぐさめて安心させて話しやすくさせるなど、場面に応じていろいろな要素をまじえる技術がみられます。

 

会話の相手は、探偵さんの、こうした手をかえ品をかえた質問によって、おもわず本音や隠しておきたいことや、いやもしかしたら自分でも気がついていなかったことを(表情や態度も含めて)おもてに出してしまう。それによって探偵さんは、事件の原因につながるヒントをつかむことになります。

ただのたわいない会話だと思っていても、プロの質問者にかかるとこんな成果を産みだされてしまうのですから、われわれシロートは気をつけなければならない。そう思わされてしまうのが、ロス・マクドナルドの小説のひとつの手柄です・・・とっとっと、あぶないあぶない。もし自分がなにかの事件の容疑者になったら、ぜったい黙秘しよう(できるかな?)。

ところで、カフェのマスターもリュウ・アーチャーのような「質問力」を身につけなければいけないかと言われれば、もちろんそんなことはないですよね、たぶん。そうではなくむしろ、お客さんが気持ちよく話してくれるための質問をすればよいのですよね。

そう、あまりにお客さんの心理・精神に踏み込んで、探偵のように、相手が秘密にしておきたいものを、明るみに出したりしないようにしないといけないでしょう。ま、そんなことはまずできないでしょうけど、もしそんなことしたら、私の目つきがドンドン探偵さんのようになって、カフェにお客さんの足が遠のいてしまいますもん。

 

29 「死者」とどう折り合いをつけるか

 

東日本大震災から6年が過ぎようとしています。

この間、日本という国や、ここに住む私たちはどのように変わったのでしょうか? あるいは、どう変わらなかったのか?

自分たちの変化については、自分ではそう簡単にわからないものです。でも、もしかして外からの眼を借りることで、そのヒントがすこし見つかるかもしれません。たとえば、

 

「死者が立ち止まる場所」(マリー・ムツキ・モケット/晶文社)

の筆者は、日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれ、福島に親類のお寺があったことから母親の母国、とくに被災地を何回も訪れます。つまり「外からの眼」の持ち主です。そして彼女は、被災地だけでなく、総持寺、永平寺といった禅寺から、高野山、恐山など、死者の聖地と呼ばれる場所を「巡礼」していくことになります。

外の眼としての筆者の疑問はこうです。

大きな災害が起きて多くの犠牲者がでた。そのとき人々はどのように親しい人たちの死を受け入れ、死者を見送り、「死」というより「死者」という存在と、どう折り合いをつけたのだろうか。つまり、死者と残されたものの関係はどうなったのか? それが分からないと、じつは「外」の人でもあり同時に「内」の人でもある筆者自身の心も、折り合いがつかないというわけです。

ではじっさい、「生者が死者と折り合いをつける」にはどうすればいいのでしょうか。

筆者は、そのためにはなにか「物語」が必要になるといいます。自分は相手にとってどういう人で、相手は自分にとってこういう人で、それがアクシデントによって相手が亡くなって、自分は生き残った。じつは、それにはこういう「ワケ」がある。

その「ワケ」を説明する物語がないといけない。他人に語ることのできる具体的な物語によって、自分と相手がその物語の中で「生きていた」ことがだれにもわかるように説明できるなら、自分のなかでものごとのつじつまがあい、心が楽になるということです。(つまり、ナラティブ・セラピーのようなことでしょうか)

 

そうした「物語」について、「外の眼」である筆者はさらにこう考えます。

「(だから)日本の物語は美しいイメージとともに終わることが多いのだろう」と。

この言葉じたいは心理学者河合隼雄先生のものですが、そう言われれば、たしかに西洋の物語が、たとえ「死」をあつかったものでもハッピーエンドや勧善懲悪をめざすのに対して、日本の物語は必ずしもそうではないことに気づかされます。竹取物語など今昔物語のなかの話もそう、柳田国男が集めた土地に伝わる物語もそう、それらをもとにした能や怪談もそう、さらには演歌や軍歌もそう。それらのなかには、たしかにかなりの確率で、「ハッピーじゃないし、ちょっと恐いけれど、なんとなく美しい」と感じさせる結末が用意されていることが多いように感じます。

日本と西洋の、この違いはどこにあるのでしょうか?

死や苦しみは人にとって受け入れがたい。これはしょうがない。そこで人々は「理(理屈づけ)」でも「信(宗教)」でもなく、「美」に救いを求めるのかもしれません。

「世界は美しく、われわれが死や苦しみの存在を受け入れる限りにおいて、美は完全なものになる。」それは、美がなにか解毒剤のような役割を果たすというのではなく、われわれは死ぬ定めにあるのだから、はかない美をともに体験することで、一瞬の間だけでも癒されるのだということかもしれません。ここ、かなり本質的な日本人論とみました。

 

ところでひとつ、この本のなかで印象的な挿話がありました。

ひとつは、筆者が高野山で「阿字観(座禅)」を体験し、「その瞬間にも高野山で、たぶん永平寺でもチベットでも、だれかが

やはり瞑想しているという事実」に気づき、「私たちはみんな一緒に座っている」と感じた、というところ。

もうひとつは、お盆の灯籠流しをしながら、「私は自分自身の悲しみを、他のすべての人の悲しみという全体図のなかに置いて見られ

るようになった」、というところ。

「美」とはたぶん、このような「すべての他者」との同調とか共感において発見されるのかもしれません。そして私には、筆者がここ

で「内からの眼(日本人的な)」もあわせ持って、身内の死と折り合いをつけられたように感じられます。というのも、天寿を全うし

た人も災害で亡くなった人たちもわけ隔てなく、他者であっても身内であり、身内であっても他者であるからですし、日本でも西洋で

も、霊魂や幽霊とは私たちにとって「他者」になった人たちですから。

そうすると、自分だけでなく「生きている他者」も「死んでしまった他者」も、みんな一緒に救われなければ、それこそ「つじつま」

が合わないと感じ、そうした「美しさを伴った結末(つじつま)」をつくることが、とりわけ私たち日本人が変わらずに持ち続けてい

る「折り合いの作法」なのかもしれません。私はそう思います。

 

 

30 文章表現はテクニックだけの問題じゃないぞ

 

カフェにお越しになるお客さんには、とくにお若い方に村上春樹ファンが多いようです。

たしかに村上春樹さんの書かれたものの中には、「ほんとにうまい表現をするものだなあ」と思わされるものがありますね。

そんななかの一冊に、お気に入りのジャズマンを紹介した、

「ポートレート・イン・ジャズ」(新潮社 村上春樹/和田誠)が、あります。

 

私も、昔からジャズ評論は山ほど読んでいるのですが、演奏や演者に寄り添ってピタリと決まる表現には、なぜかあまり出会いませ

ん。なぜだろう? と不思議でした。

とにかく、評者の思い入れの強い称賛や罵詈雑言や、しろうとには分かりにくい音楽的にテクニカルな批評、それから評者自身にしか

通用しないレベルの比喩(ワインソムリエのような)が多くて、閉口することも多かったものです。

ところが、演奏家とその代表的な作品を紹介するこの本では、村上さんの表現は、演奏者への「愛」が感じられつつ、ムムッ、そうき

たか!と思わされるものがあって感心させられます。

たとえばある奏者の演奏について、

−聴く人の心をオフ・ガードにしてくれる・・・

この表現なんか、「素直な気持ちになる」を「オフ・ガード」と表し、演奏が聴く人の心を「なになにする」のではなく、「してくれ

る」と表現して、自分を受け身にして向こうの手柄をたてている。こういうの、いいですね。

−ほんとうにオリジナルな音楽だけがもつ、背筋の通った熱い気迫。

−どちらかというと潔く、「これはこっち、それはあっち」という具合にものごとを分けていく。ときどき潔くなりすぎて、音楽の汁

気がどこかに消えてしまうことがある。

−声の出どころに、ここなら隅々まで間取りを心得ているとでもいうようなナチュラルな懐の広さ・・・

−年齢を重ねて話のスピードと切れはいささか衰えたものの、そのぶん、人情話のうまくなった噺家と同じで・・・

 

どうでしょう。

「背筋の通った」「潔さ」「音楽の汁気」「間取り」「懐の広さ」「人情話のうまくなった噺家」・・・

だれの演奏を評しているかは書きませんでしたが、それでもなんとなく「ためにする」批評ではなく、「評する側も評される側もいい感じ」になろうとする気分が伝わりますでしょう? それはとくに、先生が演奏者をほめているときに、いい感じの表現が多発することからも感じられます。

日本にはレトリックがない、と言ったのは丸谷才一さんですが、村上さんには(たぶん翻訳で培った)独自のレトリックがあると思います。ただ、ときたま、

−常にひとつの完結したステートメントがある・・・

−対象とのコミットメントそのもののなかに、すでに意味性が設定されている・・・

−そこには不思議に人の心をトランキライズする太い流れが、一本とおっている。

となってくると、ちょっとカッコよすぎるなと思えますよね。どうしてもカタカナことばや横文字を使わないといけないかなあ。

 

いっぽうジャズに関して言えば、ほかの音楽とジャズの違いは、その即興性にあります。評する側は、本来は演奏一回ごとに違うものを、あえて、CDで固定された音源をもとにしなければならない。その点をないがしろにすると、どんなジャズ評論もまるでできそこないの文芸評論のように「高みの見物」になってしまう。そうです、われわれ読者としても、レトリックとか比喩のうまさばかりに感心している場合ではないのですね。

そこはそれ、さすが村上先生はきちんと押さえていらっしゃる。

「話し上手な人は、同時に聴き上手だ。語りかけながら、オーディエンス側の抱えている『語られざる語り』をうまく引き出し、それを

温かく自分の内に受け入れていく。」

これを読んで私は、むかしどこかで聞いた、ウィントン・マルサリス(トランペット奏者)のお言葉、「一緒にやりたくない演奏家とは、オレがソロをとっているときにそれを聞いていないで、次に自分はどう演奏しようかと考えているヤツだ」というのを思い出しまし

た。

これすなわち、ジャズのいい演奏とは、共演者の演奏をよく聴き、現場の聴衆のいまの感情も汲み上げ、それらを自分の演奏に載せて

いく、そういうものだということなのでしょう。これぞインプロビゼーションの秘訣、といったところでしょうか。

先生は、ジャズはコミュニケーションだ、ということをしっかり押さえておられる。

だから批評する側としても「演奏者」との対話が大事だ。そして自分がどう演奏(批評)しようかと考えるのではなく、演奏をよく

聴いて、それに触発されたナマの言葉を演奏し返し、なおかつ「読者」に質のいいプレイを届けられるかどうかと考えておられる。

対話とおなじですね。しかも三方向での対話。

村上先生は、そこを強く自覚されて評しておられているように感じます。もしかしたら、そのへんに村上小説の人気の秘密があるのかも。